写真集紹介:古屋誠一『Memoires』

異国の地で出会い、7年間共に過ごした妻・クリスティーネは自ら命を絶った。写真家・古屋誠一が妻の死の4年後に発表した『Memoires 1978-1988』(Camera Austria、 1989年)。そこから続く「メモワール」シリーズは、その死を問い続ける。写真の中のクリスティーネに、われわれはいかなる眼差しを向け、何を感じることが出来るのか?

Written by はらやま

自由に見ることが許されない写真

「写真は真実を写す」というと、いまではあまりにもナイーブな考えとして一蹴されるだろうが、それでもこの神話はいまなお人々の意識に根強く残っている。それは、写真という媒体が「描写」と切っては切れない関係にあり、その描写は機械的になされることに由来するように思える。しかし、この「描写」の対象は眼前の世界、物体それ自体である。それに対し、「真実」は描写された世界がいかようにそうであるのかについて解釈するものである。古屋誠一の「Memoires」は、この解釈の方向性があらかじめ決められている。それも強烈なまでに。それは、われわれ鑑賞者が自由に見ることを許さない写真なのだ。

古屋誠一は、1972年に東京写真短期大学を卒業し、翌年に日本を離れヨーロッパに向かう。ウィーンを経て移り住んだオーストリア第二の都市グラーツで、1978年にクリスティーネ・ゲッスラーと出逢い、結婚。クリスティーネは次第に統合失調症に蝕まれていき、1985年10月、4歳になる息子と3人で暮らしていた東ベルリンのアパートから飛び降り、自ら命を絶つ。

クリスティーネとの出会いから別れまでの7年間に加え、その後の、残された息子との暮らしの中で撮影された写真をまとめたものが、1989年の展示に際し出版された『Memoires 1978-1988』(Camera Austria)である。出会ってまもない78年夏に古屋の故郷・伊豆で撮影されたクリスティーネの写真から始まる一冊は、すべての写真に撮影年と場所が記されており、おおまかに年代順に並べられてはいるが、順序が入れ替わっているものも少なくない。古屋の最初の写真集『AMS』の荒々しいアムステルダムのスナップ、窓ガラス越しに見つめたウィーンの都市、ホルマリン漬けの胎児や標本のようなネズミの死体の写真が、クリスティーネの前後に並ぶ。

【出典:『Memoires 1978-1988』、Seiichi Furuya ホームページ (https://www.furuya.at/en/book_15.html) ©s.furuya】
【同上】

ページをめくるごとに時計の針が進み、まるで死へのカウントダウンのように不安や緊張が高まり、重苦しい空気が漂う。屠殺場での目隠しされた牛、寺で雑巾がけをする僧、散らばった千羽鶴。その中で、度々現れるクリスティーネの写真を見ることは、フラットな視点ではありえない。そして、コンタクトシートという形で掲載された、アパートから飛び降り地面に横たわっているクリスティーネの最期。

【同上】

『Memoires』は、徹頭徹尾あるひとつの極点――クリスティーネの自殺――を中心に置いて見ざるを得ない。いや、そうせざるを得ないように巧妙につくられている。「なぜクリスティーネは病気を発症したのか。なぜ自殺という道を選んだのか。なぜ…」。

冒頭の活力に溢れたクリスティーネの表情と見比べると、妊娠・出産を経て、やがて病気を発症する彼女の顔つきは明らかに変貌する。カメラの機械的な描写によって記録された、彼女の人生という物語を覗き見ているように思えてくる。

だが、そのような直線的な見方は大事なことを見落としている。生はその始まりから死へと絶え間なく歩を進めているのであり、その過程は不吉や不穏が充満していくようなものではない。写真集を見返すたびに感じるのは、個々の写真が、ある一瞬においてそうであったという断片の集積としてよりも、「自殺」という全体に対する部分の連関として見えてしまうということだ。「なぜ…」の答えを、それぞれの写真の細部に否応なく探し求めてしまう。物語が完成するためには決定的に必要な、だが見つかるはずのないピースを、写真に記録されたあらゆる細部から想起し、自らの頭のなかで完成させる。

写真が持つ「伝える力」の可能性

以後、同名の写真集5冊を含め、古屋はクリスティーネを中心に据えた作品を多数発表してきた。その全ては、やはり「クリスティーネの死」を強く意識させる構成であるが、それぞれの作品は少しずつ異なって見えてくる。

古屋がレクイエムとして制作した最初の写真集では、古屋にとっての「クリスティーネ」という物語といってよい 。そこには古屋の内面を表現しているかのような写真も多々挟み込まれている(以下、参考リンク:古屋誠一16,000字ロングインタヴュー「亡き妻に永遠の生を与えるために」〔IMA online〕)。

だが、その後の作品では、クリスティーネの残された手記を掲載した『Memoires 1983』(赤々舎、2006)や、古屋が彼女を撮った写真と対になるようにクリスティーネが古屋を撮影した写真を配置した最新作の『Face to Face』(Chose Commune、2020)など、古屋にとってのクリスティーネではなく、クリスティーネ本人に迫ろうとしていく。夫からみた妻という視点から、より第三者的、客観的視点へと移っているのである。

【出典:『Face to Face』、Chose Commune公式サイト( https://chosecommune.com/book/seiichi-furuya-face-to-face/ )】
【同上】

これらの試みは、ドキュメンタリーとしての写真のあり方を考えさせる。クリスティーネの手記というテクストが写真に与える影響はどれほどのものか。「見つめる側」の撮影者が被写体として現れるという視点の複数性は、夫婦の関係性をより深く見せるのか。「一方的な視線」による直線的な物語を越えて、写真はどこまで伝えることができるのか。

写真は語らない。ただ、画像としてそこに静止しているだけである。そして解釈を執拗に迫ってくる。一連のMemoires作品を通して、写真という媒体を用いたドキュメンタリーの持つ可能性と限界を考えざるをえない。どれほど文脈に写真の解釈の方向性が規定されてしまうのか。そのうえで、いかに多層的な物語を伝える可能性が残されているのか、と。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる