1969年に公開されたゴジラ映画、本多猪四郎監督『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は、怪獣映画の斜陽のなか低予算で撮られ、内容もいまだ決して評価の高い作品ではない。しかし、筆者は、この作品にこそ怪獣映画の魂を見出していく。怪獣と孤独な子どもへの愛おしみを込めて。
Written by イサク
怪獣たちの黄昏
1969年というと、怪獣映画はすっかり斜陽の時代を迎えていた――というと、僕らのように平成怪獣以降を観てきた世代は、いくらか首を傾げるかもしれない。しかし、実際そうだったのだ。あの頃、怪獣映画は瀬戸際に立たされていた。怪獣映画の歴史は、順調な発展史でもなければ、滑らかな順次公開の歴史でもなかった。
東宝ゴジラを筆頭とする60年代の怪獣映画ブームは、1963年、ゴジラ映画の3作目にして傑作怪獣コメディ映画『キングコング対ゴジラ』の大ヒットに始まり、その好調な売り上げを買われ展開していく。東宝は、60年代をとおして、キングギドラが初登場した『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)や、あの有名なギャグ「シェー」をゴジラがしてみせる『怪獣大戦争』(1965年)などを次々に発表していった。近代の生み出した罪悪と呪詛の塊のような初代『ゴジラ』(1954年)はすでに遠くなり、すっかりみんなの人気者、資本の首輪を付けられた「ほどよい」暴れん坊となったわけである。もっとも、多くのゴジラファンはそんなキュートなゴジラも愛してやまないのだが。
ところが、ゴジラ映画の観客動員数・売り上げは、作品を出すごとに落ちていく。テレビの普及による業界そのものの営業不振も相まって、怪獣映画ブームは下火になる。そうして金のかかる特撮の制作費もどんどん削られていくのである。60年代の最後に作られた1969年のゴジラ映画第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(以下、『ガバラ』)は、資本主義の宿命に従って最盛期における予算の3分の1以下にまで切り詰められた。徹底した予算削減が企画書でも謳われた。怪獣も金がなければ暴れられないというわけだ。怪獣たちの黄昏である。
こうして『ガバラ』は、この年より始まった「東宝チャンピオンまつり」という、一部のおじさんは涙なくして語れない子ども向け興業の一角に組み込まれ、公開されることとなる。しかし、予想どおり、と言ってよいのか、『ガバラ』の評価は当時の子どもたちから芳しくなかった。いまでも再評価されているということはない。
それも仕方がない。劇中で使われる怪獣登場シーンは、いくらかの例外を除けば過去作の使い回しだし、おまけに「オール怪獣大進撃」などと謳っても、ほとんどの怪獣は(使い回しで)一瞬登場するだけなのだ(複数の作品から使い回しているせいで、ゴジラの見た目までシーンごとに異なる始末だ)。あまりに「子ども向け」な雰囲気が嫌いだという声もある。新作ゴジラ映画を期待して胸を躍らせていた少年たちが、失望のあまり癇癪を起こして、顔を真っ赤に映画館から飛び出し、肩をブルブル、膝をガクガクとさせながら大人たちへの怒りを絶叫したとしても、ある程度は仕方がなかった。
しかし、小さい頃にこの映画を100回近くは観た身としては、いくらか擁護も試みたくなる。というのもあの頃、僕は、たんに怪獣好きなだけではなく、怪獣好きな鍵っ子である主人公・一郎への強い共感を抱いていたのだ。ということで、今回は、この『ガバラ』を考察してみたい。
工業・公害・大怪獣
本作の舞台は、1969年、川崎臨海部の重工業地帯で、そこに住む少年・一郎が主人公である。1969年の川崎といえば、排気ガスで空は濁っている。映画冒頭で、学校からの帰り道に一郎が真空管を拾う場面などは川崎らしい。親たちは、息子の小児ぜんそくを心配している。劇中ではアポロ十一号の1969年の月面着陸が触れられ、また「いまや世界的な流行となった、こうした若者の狂った行動は、由々しきことであるという意見を・・・」といった報道がテレビから流れている。
公害と怪獣――このテーマでいえば、本作よりも、監督に坂野義光を迎え、1971年に公開された次回作となる大傑作『ゴジラ対へドラ』が知られている。しかし、すでに『ガバラ』でもこのテーマは展開されていた。おどろおどろしき大怪獣ヘドラの姿をとることによってではなく、より「子ども的」な茶目っ気たっぷりのやり方で。
映画が始まると、いきなり工場の煙突群がもくもくと排気ガスを吐き出している光景が映し出される。そこから、一郎少年が女の子と産業道路沿いを下校している場面に移る。少年は、音を立てて勢いよくカーブする自動車をみて、「あっ、ミニラみたいだ!」と声をあげる。
少女:ミぃニラぁ?
一郎:うん、ミニラ。あんな鳴き方するんだよ。キキキキィーって!
少女:嘘! 会ってもしないくせに。
一郎:そりゃ会ってないさ。でも、そうだもん。
ちぇっ・・・キキキっキ、キぃ、キっキキー!
【出典:前掲『ガバラ』】
一郎少年は、排気ガスを撒き散らす車、そしておそらくはモクモクと煙を吐く工場の大きな煙突にも、怪獣の姿を見出しているのだ。少年にとって、彼の生きる川崎の大工業地帯は、怪獣たちの影をそこかしこに隠している。「そりゃ会ってないさ」、本物の怪獣は、僕らの生きる日常には出てきてくれないのだから――でも、怪獣たちはそこかしこにいる。少年の敏感な感性は、世界から送られてくる秘かな信号を逃さない。
しかし、人間がこれほど身勝手に排気ガスをまき散らし、海も空も野も山も汚していたとしても、怪獣たちは無事に生きていくことができるのか? 鳥や魚や虫たちと同じように死んでしまうのではないか?――これが本作の描く「公害と怪獣」の二つ目のテーマである。本作のテーマソングである名曲「怪獣マーチ」では、次のように歌われている。
怪獣サマが 泣いたとさ
どうして地球は 住みにくい
ゴーゴーゴジラも 驚いた
ミ ミ ミニラも ブールブルブール
ドッスン ガッタン ドッスン ガッタン
みんなこわしてしまうけど
メガトン スモッグ 排気ガス
これが本当の 怪獣だー!
【佐々木梨里&東京ちびっこ合唱団「怪獣マーチ」1969年、関沢新一作詞 、叶弦大作曲】
まさに怪獣たちからすらも住処を奪ってしまうのが、近代産業化とその結果としての公害なのだ。排気ガスをまき散らす工場、ひいてはそれを生み出した人間たちこそが「本当の怪獣」というわけだ。初代ゴジラに、そして二年後にはヘドラに託された近代への呪詛は、ここでは陽気なマーチのリズムで歌われている。
孤独な子どものヴァイタリティ
いかなる責任も子どもにはない。上記のごとく、一郎少年は、60年代末の川崎をそれなりに楽しく生きているようだ。しかし、作品を観すすめていくと、どうも彼は孤独な日常を送っていることが分かってくる。父(演じる佐原健二は川崎出身)は工業地帯で働いており帰りは遅い。母も水商売で家計を支えており、学校から帰ると一郎は一人きりだ。
それに引っ込み思案な彼は、学校での人間関係も上手くいっていない。上級生のいじめっ子たちに目を付けられているのだ。拾った真空管もあっという間に取り上げられてしまう。そして何を隠そう、このいじめっ子グループのリーダー格がカワハラくん、通称「ガバラ」なのである。
一郎少年をいつも気にかけてくれるのは、同じアパートに住む、天本英世扮するオモチャ職人の「発明おじさん」だけである。一郎と親密に付き合うこの隣人が、彼にとってどれほど心の救いであることか。孤独な一郎少年は、そんな「発明おじさん」の発明を真似、おそらくは道に落ちている部品などを集めて「コンピューター」なるオモチャを自作しており、それで一人で遊ぶ毎日だ。
コンピューター、コンピューター。僕を怪獣島に連れてゆけ。コンピューター、コンピューター。怪獣島の場所を教えてください。
【出典:同上。】
そうして遊んでいるうちにすっかり寝てしまい、夢の世界において首尾よく「怪獣島」へとトリップするのである。一郎は、そこでミニラと出会う。サイズは人間の子ども程度で、妙に甘ったるい日本語を使うミニラといくらか話してみると、どうやら彼は親であるゴジラに全然かまってもらえず、寂しい思いをしていることが分かる。おまけにゴジラのいない隙にミニラをいじめる怪獣が出てくる。それが意地悪な雄猫のような顔をした怪獣「ガバラ」である。要するに、一郎は、夢のなかでミニラに自己を投影しているのである。
しかし、この夢のなかでの出会いをとおして、彼は大きく成長を遂げる。自己の投影としてのミニラ、憧れの怪獣ゴジラに向けて努力し成長していく過程に、ということは、自己の内面の成長可能性そのものに、反射されるかたちで、一郎少年は成長していく。映画の後半、現実世界で彼を襲った誘拐犯二人を勇気と工夫でもって撃退するまでにいたる。孤独な少年は、親や同級生が側にいなくても、ただ夢のなかでの怪獣との出会い(というかたちでの可能性としての自己との出会いなおし)をとおして自己を変革するのだ。孤独な、しかし確かに他者(あるいは他者としての自己、その反映としてのミニラ)に媒介された成長である。〈孤独〉が、孤立や孤絶とは違い、いまだ辛うじて他者に開かれている所以はこのような関係にある。
怪獣としての子どもたち
怪獣をとおして、子どもは成長する。そのような成長は、学校で求められるようなそれとはまるで違ったものである。そしてまた子どもたちが怪獣(ないし怪獣映画)との間に結ぶ特別な関係は、金の都合で怪獣映画の予算を削り、金になるなら怪獣にタコ踊りでも大量虐殺でも何でもやらせてみせる、大人たちの持つ関係ともまるで違ったものである。破壊と再生、勇気と慈愛、復讐心とユーモアといった多義的な要素を豊かに含んだ、それは、「世界への応答態度」としての精神そのものを示すだろう。
本多猪四郎監督や脚本を書いた関沢新一は、1969年のこの作品を撮ったときに、これらの要素をどこまでも知り尽くしていた。ゴジラ映画史上に残る低予算のなか、撮影は特撮と本編の二班撮影もやめ、定番のプール撮影も諦めざるをえない状況を、彼らは怪獣映画を観る子どもを主題にしたメタ的な作品を制作する機会へと昇華させた。もしかしたらゴジラ映画を撮るのもこれが最後になるかもしれないという作品に、そのような主題を据えたのだ。
そうであればこそ、過去作の使い回しすらも意味を獲得できてくる。それらの映像は、一郎少年が生きてきた60年代、普段は忙しくてあまりかまってくれない両親がたまに連れて行ってくれたのであろう、あの楽しいゴジラ映画、そのイメージが、そのまま彼の夢の世界のなかで出てきているということなのだ。言い換えると、一郎少年とは、そのようなものとしての制作者たちの夢(理想の観客)である。そこに託されたあり方は、当時の、そしてそれ以降の子どもたちにも、たとえ全員にとは言えずともきっと一部には伝わったし、伝わっていくはずだ。
60年代的なヒーローとしてのゴジラは、たとえ人間の味方ではなかったとしても、子どもの味方ではある。映画の最後、おそらくは本多監督らが自身を投影したのであろう「発明おじさん」は、「僕には分かるなぁ。つまり、一種の信仰みたいなもんですよ。大人の世界に神様があるように、子どもの世界にミニラ大明神があってもおかしくないでしょう」と話す。子どもへの共感が、怪獣をとおして(勝手に)成長する子どもの姿を彼に意識させる。
実際、一郎少年はどのように成長したのだろうか? 誘拐事件を経て、一郎の母は、「ごめんね、これからお母さん、どんなことがあっても、夜は働かないわ」と告げる。それに対して一郎は、「うん、でも生活厳しいんだろ?」「そりゃお父さんやお母さんがいつもいた方がいいけど、僕だって、一人で大丈夫だよ」と返すのである。消極的な〈孤独〉は、解消されるのではなく、ここで積極的な〈独り立ち〉へと転化されている。
そうして学校へ向かう途上、またしても上級生ガバラ率いるいじめっ子グループが一郎を待ち受けている。一郎は、「ガバラの意地悪なんて、大嫌いだ!」と言い切って、意地悪ガバラと取っ組み合いの喧嘩をして勝つのである。ついでに、ペンキ屋のおじさんにイタズラをしてみせて、いじめっ子たち相手に自身の度胸を見せつける。そして逃げる途中に通りかかった父親に、「お父さん、頼むよ、謝っておいてくれよ」「あれ、僕がやっちゃったんだよ」「じゃあ頼むよ」と笑顔でねだって、子どもたちと去って行くのだ。見事に怪獣的な成長である。大人の役割は、勝手に成長していく子どもの責任を代わりにとってやることだけなのだろう。
どうやら本作には、「結局すべては一郎少年の夢世界の話であり、せめて最後にでも本物の怪獣が出てきてくれたら・・・」と嘆く声があるという。しかし、僕は、そのようなシーンはやはり必要なかったと思う。怪獣は、現実には現れてくれない。僕も待っていたが、怪獣が現れてこの社会をめちゃくちゃに壊してくれることなんて結局なかった(世紀末の幼少期、結局は大隕石すらも落ちてこなかった)。しかし、まさにその冷たい現実が、孤独な少年が夢のなかに出てきた怪獣(としてのより高次の自己像)を媒介に成長する、というこの物語には必要であったのだ。