これからヒップホップを聴いていきたいという方向けに、ラッパーの経歴やおすすめアルバム、面白エピソードを紹介する連載企画、Rapper’s Delight。第一回目となる本記事では、数々のアルバムを世に出し、いまなお第一線で活躍するニューヨークの「生ける伝説」、ナズを取りあげる。
Written by イサク
史上最高のアルバム
路上で遊んでいる子どもたちを見ていると、「この子たちのなかに、実は親の影響でヒップホップを聴き始めているのがいて、将来、偉大なラッパーになったりするのかな?」などと、時折思うことがある。そのような時、特にナズ(Nas)の顔が浮かぶのは、彼の伝説的アルバムのカバーデザインに幼い頃の彼の顔が使われているからだろう。彼が幼い頃にすれ違ってきた大人たちは、のちに彼が偉大なラッパーとして語られることに気づくことはなかったのではないか?
ナズこと、ナーシアー・ビン・オル・ダラ・ジョーンズ(Nasir bin Olu Dara Jones)が生まれたのは1973年で、ニューヨーク・クイーンズで育つ。ジャズ・ミュージシャンである父オル・ダラ(Olu Dara)は、当時、あまり金銭的成功はしていなかったかもしれないが、息子に音楽という大きな贈り物を与えることには成功した。それは、アメリカ最大のプロジェクト(project;公営住宅)であるクイーンズブリッジ、すなわち、レーガノミクスが生み出した過酷な貧困と犯罪の都市空間、ナズたちが育ったこの酷寒の環境に、彼が優れた音楽性と詩的表現とを与えることを、どれほど大きく支えたことだろう。
ラージ・プロフェッサー(Large Professor)に認められて、この若者がはじめてレコードにそのライムを刻んで以降、彼に集まる期待はぐんぐんと大きくなっていった。1990年代前半、ヒップホップの重心は大きく西(ロサンゼルス)に傾いていた。それをもう一度、ヒップホップ発祥の地であるニューヨークの方へ――ナズは、シーンのそういった期待に、「完璧」すら超えたレベルで応えた。1994年、1stアルバム『Illmatic』が公開される。
もし「ヒップホップ史上最高のアルバム」を考えようと思うなら、まずはこの作品を想起すべきだ。そして、これに並べられるようなアルバムがほかに何枚あるのかと指折り数えてみたらよい。悩ましき議論を大幅に短縮するだろう。実際にもしばしば史上最高と呼ばれるこの作品について、ここで詳細に考察することはできない。ナズの溢れ出るような詩才と、ラージや、ナズの盟友L.E.Sに加え、DJプレミア(DJ Premier)、ピート・ロック(Pete Rock)、Qティップ(Q-Tip)という90年代NYヒップホップを代表するプロデューサー陣が競い合って用意した珠玉のトラック。その二つの素材に加え、イントロを含めてわずか10曲というタイトな構成。それこそが、これほどの作品を生み出したということだけは指摘しておきたい。余計な成分の一切を飛ばしたことで、これほどの純度を誇った代物が生まれたのだ。
伝説の三段オチ
NYヒップホップの金字塔となった『Illmatic』を食らったヘッズたちは、ナズの次なるアルバムにどれほどの期待を寄せたことだろう? 1996年に出た2ndアルバム『It Was Written』は、もしかするとコアなヒップホップ・ファンを失望させたかもしれない。前作で最高のトラックを提供していたDJプレミアの仕事は、今回はあまり光らない。西の巨匠ドクター・ドレー(Dr. Dre)との話題のコラボもいまひとつだという意見もある。とはいえ、たとえばスティング(Sting)の”Shape of My Heart”――映画『レオン(Léon: The Professional)』(1994年)で使用された――をサンプリングした”Message”、そしてローリン・ヒル(Lauryn Hill)を客演に迎えた名曲”If I Ruled The World (Imagine That)”には、前作にはないキャッチーな魅力もある。いまでは、古典とは言わずとも、名作アルバムとしてそれなりに評価されている(実は、ナズの全てのアルバムのなかで最も売れたのがこの2ndだ)。
さて、問題はここからだ。ザ・ファーム(The Farm)としてのアルバムを経て、1999年、世界が世紀末を楽しんでいた年、ナズは次なるソロ・アルバムを発表する。しかも、わずかな期間を空けて2枚続けてだ。まずはその3rdアルバム、4thアルバムのカバーを見ていただきたい。
1stアルバムのカバーで、クイーンズブリッジ団地を背景にしていた幼いナズは、2ndで青年ナズへと成長した。そして、待望の3rdアルバムにおいて、彼はツタンカーメンになってしまったのだ。さらに4thにおけるジェダイみたいなコスプレは、タイトルから察するにノストラダムスを、いや、ナズトラダムスを表現している。全世界のヘッズはずっこけた。思わず唾を吹き出し、隣りの友人と顔を見合わせた。「これは本気なのか…?」――仏頂面でこちらを見つめるツタンカーメンを見ていると、『i am…』の、物言いたげな「…」にまで腹が立ってくる。これが伝説の「ナズの三段オチ」である。知性の壁の向こうには、「みんなのナズ兄さんは実は結構な天然野郎」というリアルが待っていた。
これで内容が良ければまだ救いもあるが、残念ながらそう言うことは難しい。まず『i am…』の方は、DJプレミアの傑作”Nas Is Like”が収録されており、他にも良い曲はいくらかある。だが、アルバムとしての完成度には欠けると言わざるをえない。『Nastradamus』の方は輪をかけてそうだ。優れたリリシズムは残っていても、それだけで名作はできないということを痛感させる作品になっている。『i am…』に収録された”NY State Of Mind, Pt.2″――それなりにカッコいい曲のはずだ、伝説的なPt.1さえなければ――を聴くと、むしろ1stの呪縛のせいで、ナズがアレほどの傑作を出すことはもうないということを確信する――そんなリスナーは数多くいただろう。しかし、だとすれば、その1stの呪縛を自ら断ち切るということこそが、彼にさらなる偉大な仕事を成し遂げる機会を約束するだろう。
ヒップホップは死んだのか?
2001年にナズが出した5thアルバム『Stillmatic』は、まさにその呪縛を断ち切った快作となった。本作は、00年代のNYヒップホップを代表する一枚となる。ライバル・ジェイZ(Jay-Z)を徹底的にディスした”Ether”、自分に必要なのはマイク一つだけなのだと、ラッパーとしての覚悟を新たにする”One Mic”が特に輝く。『Stillmatic』というタイトルのアルバムで、『Illmatic』の呪縛を断ち切ったのだ。いや、それに続くナーシアー・ジョーンズ名義の傑作である6th『God’s Son』(2002年)、そして父オル・ダラとの共演曲”Bridging the Gap”が光る7th『Street ‘s Dlsciple』(2004年)までを聴いていくと、実は『Illmatic』に呪縛されていたのは、ナズ自身ではなく、僕らファンの方なのではないかという思いが湧いてくる。1stからではなく、この3枚から遡って2nd〜4thアルバムを見ると、まるで違った見え方がしてこないか? ナズは、この7thでもって、デビューアルバム以来、ちょうど10年間所属してきたコロンビア・レコーズから離れることになる。
2006年初頭、ビッグニュースがヒップホップ界を駆けめぐる。ナズがあのデフジャム・レコーズと契約したというのである。デフジャムといえば、2004年から、ナズと長年の敵対関係にあったジェイZが社長に就任している老舗レーベルだ。彼は、そのビジネスマンとしての才覚を遺憾なく発揮しリアーナ(Rihanna)やニーヨ(Ne-Yo)を大ヒットに導いていた。ナズがついにジェイZ王朝の軍門に屈したという皮肉な見方もあったが、それ以上に、このヒップホップ界の二大巨頭の協力に世界中が興奮した。そうしてナズが発表した8thアルバムは、さらなる波紋を起こす。『Hip Hop Is Dead』(2006)である。
ナズは、このアルバムにおいて、過度に商業主義化したヒップホップ産業を手厳しく批判する。ジェームス・ブラウン(James Brown)をサンプリング――まさにかつてヒップホップがそうしてきたように――した”Where Are They Now”では、かつてヒップホップの魂を牽引してきた偉人たちの名前を連ね、「彼らはどこに行っちまったんだ」とまくしたてる。そして、プロデューサーにウィル・アイ・アム(will.i.am)を招いたタイトル・ソングでは、「ヒップホップが朝起きて死んでたときには、AKに拡張つけて、ラジオ局のDJどもを殺してまわる」と怒る。そして”Hip Hop Is Dead”に続くのは、まるでサスペンス映画といった趣きの”Who Killed It”、といった具合だ。
全世界のヒップホップ・ファンたちが、唾を飛ばして議論をしあった。「ヒップホップは死んだのか?」 いまをきらめくサウスの若手ラッパーは、ナズを老害呼ばわりして批判した。「ヒップホップとは何か?」――僕も、ヒップホップの現状をめぐって、友人と胸ぐらを掴んで喚きあった。
このアルバムは、もう一つの側面を持っていた。ジェイZとの夢のコラボ曲”Black Republican”、ナット・キング・コール(Nat King Cole)の名曲に重ねて歌う”Can’t Foget About You”、そして特に本作を締める感動的なアカペラ曲”Hope”。これらの素晴らしい曲を通して、特には最後の”Hope”で示されるのは、「ヒップホップは決して死なない」とメッセージであり、ヒップホップという20世紀が生み出した精神態度に対する、彼の愛と忠誠である。その地点にヒップホップ再生の起点が置かれたのであり、そうして蘇ったヒップホップはアメリカ社会をも再生させるだろう。彼が求めたのは、この再生過程を起動させることであった。
2008年、ナズがデフジャムから出す2枚目となる9thアルバムは、まさにヒップホップを武器にして、アメリカ社会へと斬り込むものである。このアルバムには、なんとタイトルがない。ただ便宜的に『Untitled』と呼ばれている。当初、予定されていたタイトルは(あえて書くが)『Nigger』であった。しかし、この言葉をタイトルにすることが問題視され、ナズは「無題」のままアルバムを出すことに決めたのである。
アメリカ社会におけるアフリカ系の人びとを取り巻く問題を訴え、政治的革新を求めた本作は、前作に続いて大傑作となった。一曲だけ紹介するとすれば、あの2パック(2 Pac)の声をサンプリングした”Black President”を挙げたい。2008年が何の年であったかを想起するとよい。バラク・オバマが大統領選挙を戦った年だ。「まだ俺たちには黒人の大統領を持つ用意はできてないのさ」という15年前の2パックのライムに、「できるさ、俺たちは世界を変えることができる(Yes, we can change the world)」と返すこの曲は、アフリカ系の人びとを取り巻く状況を大きく変革できないままにキング牧師が殺された、その5年後に生まれた一人のアフリカ系男性の見た希望である。あの頃、世界は良い方向に進むだろうという希望が、わずかな時間ではあれ流れていた(この日本ですら、二大政党体制程度のことはようやく実現するかもしれない、という気配が感じられていたのだ)。
ヒップホップ、無記名の未来
その後も現在にいたるまで、ナズは活躍を続けている。2014年に新たに創設したレーベル、マス・アピール・レコーズも世界的なヒップホップの隆盛の時代に、日に日にその重要性を増している。そういった彼の活動の詳細を語る紙幅はもうないが、たとえば2021年にも、13thアルバム『King’s Disease II』を発表し、初のエミネム(Eminem)との共演曲を筆頭に話題を集めている。かつて彼が批判したヒップホップの商業化と無個性化の問題もいまだ消えたわけではない。であればこそ、彼の作品は、ヒップホップが窮地に陥るたびにそこからの再生を促す〈古典〉であり続けるだろう。