日本でも大ヒットしたディズニー・アニメ映画『アナと雪の女王』(米公開2013年)は、物語のなかに、まるで氷のように美しい精神のあり方を潜めていた。その瞬間を見逃さずに取り出し、そこから物語全体を批評する評論。エルサは、どのような〈孤独〉を獲得したのか?
Written by イサク
2014年の春、『アナと雪の女王(Frozen)』をすぐに観に行こうとはなかなか思えなかった。広告とは不思議なものだ。あまりにしつこくやられると、その商品への興味というものがまるで失せてしまうということがしばしばある。この映画の場合がまさにそうで、テレビをとおして(すでに10年近く前になるあの頃は、僕はまだ毎日テレビを観る習慣があったのだが)、1万回はこの観てもいない作品の主題歌を聴かされたと思ったときには、映画館に駆けつけるつもりはこれっぽっちも残っていなかった。ようやくこの作品を観たのは、それから何年も経ってのことだった。
本作は、事前の予想よりはるかに興味深いものだった――少なくとも、その第一幕の終わりまでは。強力な氷の魔法が使えるために、妹アナを含む人びとを傷つけてしまうことを恐れるエルサ。そうして部屋に引きこもっているエルサをそれでも愛し、また子どもの時のように二人で遊びたいアナ。ディズニーは、ミュージカル・シーンというしばしば物語が停滞してしまう形式の場面でもって、そこまでのいきさつを見事に短く、凝縮的に描き出していた。
そしてついにエルサの魔法が知られてしまって、人びとの住む城下町から逃げ、真っ白の雪山を一人寂しく登るとき、彼女は「あの歌」を歌い始める。やはりこのシーンこそが、雲を貫く雪山のように、この作品の頂点を印しているのだ。驚くべきことに、エルサは、その歌のなかで、「いままで必死に隠して生きてきたのに、もう全て知られてしまった、もはやみんなと一緒には生きていくことはできない」という絶望的なほどの孤独を語り出す。彼女が登る厳しい雪山の斜面が、その孤独に場所を提供する。

A kingdom of isolation
And it looks like I’m the queen
孤独の王国
そして私はその女王さまのよう
The wind is howling like this swirling storm inside
Couldn’t keep it in, Heaven knows I’ve tried
唸りをあげる風は、私の心のなかのよう
抑えることができなかった、天国は私が抑えようと努力してきたことを知っている
Don’t let them in, don’t let them see
Be the good girl you always have to be
誰も入れてはいけない、誰に見られてもいけない
よい子でいなければ、いつもそうしてきたように
歌イディナ・メンゼル「Let It Go」、作詞・作曲クリステン・アンダーソン=ロペス、ロバート・ロペス、引用者邦訳。
ところが、これに続く歌と映像は、このあと驚くべき逆転を起こす。メロディはじわじわと盛り上がりをみせ、彼女の歌声にも力が入っていく。
Conceal, don’t feel, don’t let them know
Well, now they know!
隠さないと、何も感じず、誰にも知られないよう
でも、もうみんな知ってしまった!
Let it go, let it go
Can’t hold it back anymore
何も抑えなくていい、もう抑えなくていいの
これ以上抑えることなんてできない
Let it go, let it go
Turn away and slam the door!
何も抑えなくていい、もう抑えなくていいの
あちらを向いてドアを閉めるの
同上。


(中略)
It’s time to see what I can do
To test the limits and break through
いまこそ私ができることを見出すとき
限界を試して、それを打ち破るとき
No right, no wrong, no rules for me
I’m free!
私には正解も、誤りも、ルールもない
私は自由!
同上。
すなわち、「もはやみんなと一緒に生きていくことはできない」という諦念に続くのは、「でもこれでいいんだ、もう隠さなくていいんだ、何一つ省みるべきものはない、私は、私らしく生きることができるんだ」という喜びの宣言なのだ。愛する者たちとともにもはや生きてはいけないという事態が、社会的抑圧からの解放へと転化される。孤独が自由と呼び変えられる。人びとを傷つけてしまう氷の魔法が、力強く解き放たれて美しい氷の城をつくりあげる。
And one thought crystallizes like an icy blast
I’m never going back, the past is in the past
私の想いは氷のように冷たい突風みたいに結晶化される
もう二度と戻らない、過去は過去だもの
同上。
先ほどまでは過酷に見えた雪の世界も、歌に合わせてエルサの創造する美しい氷の世界へと転化されていく。観る前に100万回は聴かされたであろう「Let It Go」が、このような、絶望と希望が同時に降り注ぐようなシーンで登場することに、心がかき乱された。目をパチクリさせながら、日本語字幕と松たか子による吹き替えを交互に繰り返しリプレイした。孤独の強度に、あるいは孤独と自由のあまりに鋭利な両義性に、胸が打たれた。
とはいえ残念なことに、第二幕以降の展開は、それほど魅力的なものではなかった。お姫様を救う王子様式のかつてのディズニー形式を否定しようという展開は、それ自体としては素晴らしい取り組みであるが、本作ではその代わりになるべき魅力的な物語が描き出せていない。オラフのクレイジーな雰囲気と、これほど「とってつけたような」という言葉がふさわしい場合は見たことないほどの悪役の悪役ぶり――第二幕以降で見るべきものはこの程度かもしれない。そして最後の大団円のあと、再び「Let It Go」が流れる瞬間は、第一幕の最後との対比でいくらか感動的ではあるが、やはり第一幕の最後の圧倒的な緊張と両義性に並ぶような場面を第三幕に用意することができておらず、観終わったあとはどのような物語だったかもピンとこなくさせてしまっている。
結局のところ、第一幕の最後を飾る「Let It Go」という歌とエルサにおける動的精神の凄まじさを描けてしまったあと、本作はそれを持て余してしまっている。第二幕以降に用意されるべきもののハードルがグンと上がったのだ。要するにそれは、エルサの孤独と自由の両義的な強度に対抗することができるほどの、妹アナにおける何らかの複雑な強度の持ち方、氷のように冷たく美しい精神態度に対抗する、太陽のように温かく豊かな精神態度の独特な有り様であったはずだ。それはどのようなものであるか――それが正確に捉えられたときに、あるいはむしろ豊かに歌いあげることができたときに、氷によって造られた「孤独の王国」は、真の意味で春の訪れを迎えるはずだ。