都下自伝(1):【町田】前編

東京都下=多摩エリアの郊外的な都市生活を、ある男性の人生に沿って描き出す。この都市論は、町田の団地から駅前の市街地、八王子の住宅街や多摩センター・立川といった南多摩エリアを中心に、やがて都心へと展開されていくだろう。

Written by 東亜茶顔

これは、ある男性への自伝的なインタビューから、東京の23区外=都下に住むとはどのような経験なのかを描き出す試みである。

大都市の一部でありながら、地方でも田舎でもない、そんなエリアでの暮らしがどんなもので、そこからどんな景色が見えるのか。

こうした問いについて、東京のエッジをなぞるように追体験し、思考する契機となれば幸いである。

0.フェイスシート

2021年9月25日(土)13:00-15:00

@新宿 珈琲タイムス

Q=インタビュアー A=語り手

Q:それではインタビューを始めさせていただきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

A:はい、よろしくお願いします。

Q:それでは早速はじめていこうかと思います。では最初にフェイスシート、簡単なプロフィールに当たる項目をこの質問票に沿って訊いていこうと思います。まずはお名前から。

A:はい。ええ、○○です。歳は30歳、仕事は会社員、独身です。今は笹塚らへんに住んでます。

Q:差し支えなければご家族についてお聞きしてもいいですか?

A:親父は大学教員、母親は専業主婦で一時期子ども向けの英語教室とかやってました。2人ともたしか還暦くらいで、九州出身かな。

Q:兄弟はいらっしゃいます?

A:いや、一人っ子だね。

Q:わかりました。学歴なんですが。

A:高校からかな?桐朋高校から早稲田大学だね。

Q:高校まで多摩方面だったんですね。で、今回のインタビューのキモにあたるところなんですが、これまで住んでいた場所を教えていただけますか?

A:えっと、最初が八王子市で、幼稚園入る前くらいに町田市、で、中学校1年の終わりにまた八王子に戻ったんだな。で、就職した後に笹塚だね。

Q:八王子(〜幼稚園)⇨町田(幼稚園〜中1)⇨八王子(中2〜大学)⇨笹塚(就職〜)という感じで合ってます?

A:そうそう、その通り。

Q:わかりました。それでは、そろそろ本題に入ろうかと思います。

1.一瞬の八王子暮らし:記憶のない時代

Q:生まれた時から順番に時系列を追っていこうと思うんですが、生まれ育ちはどちらですか?

A:生まれたのは神奈川の方なんだけど、物心つく前には少しだけ八王子市にいたらしくて。そういう意味では多摩のあたりが早くから地元だね。

Q:なるほど、住んでたのはその頃から多摩なんですね。

A:と言っても、この時期八王子にいた時のことは何も覚えてないんだけどね(笑)。多少ちゃんと記憶があるのは幼稚園の年長くらいからだから、そんな。

Q:さすがにそうですよね(笑)。僕は多摩方面にほとんど馴染みがないんですが、例えば音楽でいうとTM NETWORKとかが多摩の名前を全国区にしたんじゃないですかね。

A:まあそうだろうけど、TM NETWORK=多摩ネットワークってさすがに東京周辺以外だと意味わかんないんじゃない(笑)? そもそも多摩ってなんだよってなりそうだし、音楽も別に多摩関係ないし。

Q:それはそうですね。Get Wildとか有名ですけど、そもそも『シティーハンター』の舞台は新宿ですし。

A:まあ自分もTKサウンド全盛期に育ってるからあれだけど、多摩のくせにカッコつけてるよね(笑)。TMもタイムマシーンの略に事務所が変えたとか聞いたことあるけど、多摩はあのスタイリッシュさに対してダサいんだよね、なんか。

Q:(笑)。ともあれ、メンバーの方々が多摩方面出身なのは間違いないですよね。

A:それはたしかにね。とはいえ、小室哲哉は府中だし、たしか他の二人は立川でしょ? おいおい立川とかは触れるかもしれないけど、多摩って括りでいうとあっちは比較的栄えてて店とかも多い街場っぽいよね。自分が住んでた多摩は、町田も八王子も割とニュータウンの方だから、もっと郊外の新興住宅地、って感じ。でかい幹線道路があって、ロードサイド店が多くて、大箱のチェーン店とかパチンコ屋も多い。で、奥に入るとすぐ住宅地でスーパーとかコンビニの種類が豊富で、ホームセンターとかも何軒かある。

Q:ああ、そう聞くと僕の地元とかと少し似てますね。ロードサイド中心の車社会って感じで。

A:まあ一応首都圏のベッドタウンだから電車はしっかり走ってるし、駅周りの発展はあるけどね。今の実家があるあたりの駅は、親が結婚して引っ越してきた頃はまだ荒野みたいな場所だったらしい。駅しかない、みたいな。自分が住んでた頃はもう店とかもバッチリ開発済みだったよ、映画館とかもあるし。

Q:あー、となると今でいう千葉の流山とかああいう感じですか?

A:いや、あんな新しくない。7~80年代に開発進んだエリアらしいし、団地とかも結構あるよ。実家のあたりは開発始まったのもうちょい後だと思うけど、やっぱり古い区画の方には団地があるね。

Q:団地ですか。なんか団地って聞くとKOHHの北区王子の団地とか、ANARCHYの京都の向島団地とか、そういうの想像しちゃいますね。たしか向島なんかは同じくらいの時期にできたニュータウンですし、王子の団地も70年代だったと思います。

【ラッパーANARCHYが自身の半生と、仲間や音楽への想いを綴った自伝エッセイ。作中に彼のルーツである向島団地が登場する。】

A:ああ、ちょっとゲットーな感じというか、治安の悪い雰囲気のね。

Q:そうです、そうです。自分の地元は団地とか見たことないんで、何となく高層で密集した住宅があって、建物の間に駐車場と公園があったりして、みたいなイメージです。

A:んー、向島団地はそれこそANARCHY のFateって曲のMVのイメージしかないけど、あそこまでやばそうな感じではないかな。でも住んでたのとは別の団地で、かなり前に暴力団が銃持って立て篭ってニュースになってたかな。あとは暴走族とかはそれなりに夜走ってたかな。

Q:Fateで歌われてるようなほどじゃないけど、やっぱりちょっとガラ悪い感じというか。

A:そういう人もいたかな。小学校くらいの時の人たちって色々じゃん、今思えば家の事情とかも。だからオラついた感じで万引きとかしてる奴もいたし、リアル14歳の母もいたし。とはいえまあ、学級崩壊してるみたいなエリアとかではなかったかな。身近にそういうものを見聞きしなくはなかったけど、子供心に深刻に危ないと思ったことはないし、そういう危険な物事とか人間関係からは距離があった。

Q:わかりました。そしたら、物心ついた頃からの話を聞かせてもらえますか?

A:オッケー。そしたら町田の話あたりからかな。

2.曇天と桜:町田のはずれの団地暮らし

A:たしか町田に引っ越したのは3、4歳の時で、桜美林大学の近くにある団地に住んでたんだよね。親曰く、春頃に物件を見に行ったら桜がすごく綺麗だったので決めたらしい。白壁で4〜5階建ての団地がいくつも並んでて、うちは3階に住んでた。

Q:団地のあるエリアってどんな感じの場所だったんですか?

A:駅から結構離れた、どん詰まりみたいな場所でさ。最寄りまでバスで2〜30分かかるとこで、通ってた小学校の隣あたりにバスの終点の停留所がある団地街。白い団地のあるエリアでこう、閉じてるっていうか、そこから車使わないと外に出づらいし、出てすぐのエリアは郊外のロードサイドで。それをしばらく通り抜けてやっと駅周りの市街地に出る感じ。だから小学生くらいまでの行動範囲だと、自力じゃ団地エリアの外は出づらかったなぁ。

Q:そうなると、遊ぶ場所とかどんなところでしたか?

A:そうだな、まあ団地の間にある道路とか、学校の校庭とか、友達ん家とか、あとはまあ近所にある公園みたいなスペースとかかな。

Q:公園みたいなスペースっていうと、どんなイメージですか?

A:いわゆる公園みたいな場所も団地のそれぞれのブロックにあったけど、一番大きいのはあれかな。団地エリアに中心に当たるような場所に、スーパーとか小さな商店街があったんだよね。で、その近くに集会所というか公民館みたいな箱モノがあったんだけど、そこが2階建というか、1階部分が空洞になってるような作りで。要するに集会所の下に広い空間があって、そこに普段だったら子どもが集まってサッカーしてたり、中学生がスケボーしてたり溜まってたりする感じ。町内の夏祭りの時とかは、そこに祭りの本部があったり屋台が出てたりしたかな。

Q:なるほど、そういう感じだったんですね。遊ぶってなると、どんなことやってましたか?

A:まあ小学生らしく鬼ごっこなりかくれんぼなり、あとは探検と称して近所の藪とか林とか貯水池の近くとか入ってったり。秘密基地とかも作ったね。『20世紀少年』のあれみたいな屋根付きのやつってより、多分近所のホームレスか上級生がいたっぽい場所をそのまま占拠するというか、間借りするというか、そんな感じだったけど。

Q:となると、周りには割と自然もあったんですね。

A:これはニュータウンの特徴だと思うけど、元々山とか森とか林みたいなところを切り開いて作ったような場所だろうから、比較的緑は多いんだよね、それこそ都心の街路樹とかみたいなレベルじゃなく、ピクニックとか遠足とかやれる緑地があって、池にザリガニくらいはいるようなさ。なんか1回授業中窓の外見てたら、サルが何匹か校庭の木を登ってどっか行くのとか見たことあるよ。さすがにサルはその時しか見たことないけど、昆虫とかトカゲとかヘビは普通にいたかな。あとあれだ、自転車とかで少し行くと畑とかもあったな。

Q:なんだか東京、って言われて抱くイメージよりかなり自然多いですね。

A:あ、自然といえば、あの団地の最大の特徴は、それこそ親が住む決め手にしたように、桜並木なんだよね。団地街の道路の街路樹はほぼ全部桜とツツジだったし、学校の裏手というか、団地街の奥に緑道があって、そこは桜並木と菜の花畑で有名で、シーズンになると花見客もすごく多かったよ。車が行列しててね。昔は戦車道路だったとか聞いたことあるな。

Q:おお、桜の名所が近いと春はすごくウキウキしますね。

A:そうそう。だから春に緑道でやるお祭りとか、入卒式シーズンあたりは何はなくとも晴れやかな気持ちで過ごしてたよ。ま、そのすぐ後に毛虫がわくんだけど(笑)。住んでた棟が小学校に近かったんだけど、通学路が大量の毛虫で埋まってて踏まないと帰れない、みたいになってたこともあってさ(笑)。それ以来、芋虫とかウネウネしてる感じの虫が苦手なんだよね。

Q:子ども時代のトラウマですね。他に当時のことで印象に残っている光景はありますか?

A:んー・・・そうだな。団地だから、同級生の家とか大体どっかのブロックの団地の中か、小学校の奥とか桜並木のあるエリアの住宅街にあってさ。今思うと車無しには結構不便な場所だから、都内で戸建てを買うエリアとしては庶民的なんだけど、間取りが違うことにワクワクしてたな。あと、団地に住んでる奴のとこも微妙に間取りは違うことがあるんだけど、何より覚えてるのはそれぞれの家の匂いだよね。体臭なのか生活臭なのかわかんないけど。

Q:匂いですか。

A:そう、匂い。あれだけはどこの家行っても違う。どんなに間取りとか同じでもね。家、家族、あるいは人の匂いの違いって感じだったね。それで思い出したのは、行く家ごとに出てくるお菓子とか置いてあるゲーム機に差があるのよ。それによって遊び方とかも変わるわけ。外で遊ぶか、家の中にいるか、とか。今思うと家もそうだけど、細かい格差とか家の方針の違いに触れてたよね。

Q:たしかに自分の子ども時代振り返ってもありますね。やたらせんべいだけ出してくる家とか、ポテチとかチョコとかバリエーション持たせてる家とか。

A:あとね、お母さんの服装とか雰囲気とか意外と覚えてるんだよね。「なんかザッとしてるな」とか「老けてんな」とか「結構ちゃんとしてるな」とか、嫌なガキだよね。今思うと俺あんまり家に友達呼んでなかったけど、もしかしたら母親の意向もあったかもな。あの頃って子ども経由でプライバシーダダ漏れじゃん。

Q:そうですよね。「家でばっかり遊ぶと体が弱くなるから、外で遊んでこい」とか僕も言われましたけど。

A:あれは大人の事情もあるんだな、ってこの歳になるとわかるね。

Q:そうですね。すいません、ちょっと脱線しましたが、小学校後半に移る前に最後思い出すことがあれば。

A:うーん・・・今思うとね、よその家って昼間電気ついてなかった気がするんだよね。夕方陽が落ちるまで家の中が暗い、みたいな。

Q:節約か何かですかね。

A:まあ親も日中は仕事とか買い出しとか、いろいろ用事もある風だったし、子どもだけでいることもよくあったけど、どうも家の中って薄暗いイメージあるんだよね。だから匂いのこととか覚えてるのかも。

Q:視覚以外が働く感じもあったんですね。

A:あと振り返ってみると、あの団地の様子を思い描くと、なぜか全部曇天なんだよね。夏休みの晴れた日とか、団地の白い外壁が少し眩しいくらいだったはずなんだけど、イメージは曇天。

Q:曇天ですか。

A:そう。もうずいぶん昔のことだからなのか、これから話すような団地のエリア外に出てたからなのか。別に楽しくなかったわけでもないんだけど、曇天で記憶されてる。雨じゃないんだけど、すっきりしない天気だね。桜の頃くらいかな、晴れたイメージで思い出されるのは。

Q:桜と曇天、なんだかコントラストがありますね。

A:なんでかはよくわからないけどね。

(続く)

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる