都下自伝(2):【町田】後編

東京都下=多摩エリアの郊外的な都市生活を、ある男性の人生に沿って描き出す。この都市論は、町田の団地から駅前の市街地、八王子の住宅街や多摩センター・立川といった南多摩エリアを中心に、やがて都心へと展開されていくだろう。

Written by 東亜茶顔

これは、ある男性への自伝的なインタビューから、東京の23区外=都下に住むとはどのような経験なのかを描き出す試みである。

話を聞く中で、都市と教育(特に受験システム)との関わりが浮かび上がってきた。大都市圏特有の中学受験を経験することで、彼の東京都下での生活にどんな変化が訪れたのだろうか。

1.大都市圏文化としての中学受験

Q:そうしたら、小学校生活の後半について聞いていこうかと思うんですが、中学受験なさったそうですね。

A:中学受験したね。あれは振り返ってみて、一つの重大なターニングポイントだし、すごくその後に影響を与えた経験だね。

Q:具体的にどのような点が重要で、影響を与えましたか?

A:まず、初めて自分の生活が団地の外に広がったことは大きかったかな。で、勉強面での競争にも全国規模で晒された。あと、小学校にはいないタイプの人間にたくさん出会った。で、もちろん受験の結果でその後人生変わった感もあるし、改めて考えるとむちゃくちゃ東京っぽい経験したんだなって。

Q:東京っぽい、ですか。

A:そう。大学以降に気づいたんだけど、多分中学受験って首都圏とか大都市圏でしかありえない文化なんだよね。地方だと中高一貫は少ないだろうし、私立の位置づけも違うっぽいし。まあ最近は東京も日比谷とか復活したとか、公立中高一貫校がどうとか聞くけど、俺らの頃は良い大学入りたいなら中学から私立一貫行っとく、みたいなのは強くて、それこそ開成とか麻布とか行ってれば公立より断然良いって雰囲気あったかな。

Q:ちょうど石原都政での都立高校改革の前後ですね。中学受験するきっかけは何だったんですか?

A:友達の影響だね。自分は小学校入った時から割と勉強出来たんだけど、小4くらいから突然ある友達がめちゃくちゃ勉強出来るようになったわけ。背が低くてどっか子どもっぽい奴だったけど、そいつの家がゲームに寛容だったのもあってよく遊びに行ってたし、仲良かったんだよね。けど正直勉強面ではどっか舐めてたのよ。そういう奴がいきなり成績上がるとこっちもビビるし、負けたくないわけ。それでそいつに直接理由を聞いたら、小3から塾行きだしたって言うから、慌てて自分も親に塾行きたいって言って、同じとこ通うようになった。

Q:小3、すごく早いですね。

A:入ってから気づいたけど、それなりにいるんだよね、そのくらいから塾行ってる奴って。今振り返ると、よく親もオッケーしたなと思うね。他にも習い事してたし、金かけてもらったなって。親父が中学受験経験してたのはあったかもしれないけど。

Q:ちなみにどこの塾に行ってたんですか?

A:日能研ってとこだね。今はどうかわかんないけど、当時はNマークの入ったバッグを背負った小学生がちょいちょいいたよ。

Q:あ、結構大手ですね。たしかに僕も中高の頃、電車の中でNバッグ背負った子見かけたことあります。

A:なんか小賢しい顔してて、やたらメガネ率高い感じのね(笑)。自分もその1人だった。

Q:少々雑駁な質問なんですが、塾行き始めてからの生活はどうでしたか?

A:えーとね、行き始めた当初は小田急線町田駅から少し離れたとこに自社ビルがあったんだけど、小4の途中くらいで踏切そばの雑居ビルに移転したんだよね。で、そのビル、ファーストキッチンが入ってて、夏期講習の時とか昼飯届けるサービスとかあったな。同じビルのテナントで、ゲーマーズっていう、ちょっとオタクっぽい店が入ってたりして。まあ目の毒だよね(笑)。当時ほら、任天堂64のスマブラが出て、遊戯王カードがどうとか、まあゲームしたくてたまんない年頃じゃん。

Q:あー、懐かしいですね。

A:そういえばスマブラ出て買ったタイミングで、ちょうど模試の成績が落ちて、リンガーハットで親にキレられた思い出あるわ(笑)。

Q:嫌な思い出ですね(笑)。

A:あと、学年上がってくると特定の学校向けの対策で、よその校舎から生徒が来たりしてピリピリ感があったね。でかい模試を受けに大学のキャンパス行ったりしたこともあったかな。

Q:かなり広い世界にいきなり放り出されるような感じですね

A:本当にね。チャリで動ける団地周りまでが自分の世界だったのに、急にバスとか電車に毎日のように乗って、違う小学校の連中と顔合わせて、毎月知らない街へ模試のために遠征だもんね。

2.「外の世界」へとつながる町田駅周辺

Q:世界の広がり、というところで気になるのが、これまで生活の中心だった団地周辺と、塾通いから行き始めた町田駅周辺との関係です。

A:あーなるほど。町田駅はね、それこそ外界とのつながりを開くゲートみたいなものだったと思う。当時の家は徒歩圏に駅がなかったし、青学が移転してくる前の淵野辺駅にはバスで何度か行ったこともあったけど、規模が違うよね。町田駅は乗り換え地点だし、市内の中心地でもあるからさ。

Q:あのエリアだとターミナル駅ですもんね。

A:そうそう、バスターミナルもあるし。だから電車駅周りの発展した街、ってのにハッキリ触れた最初の経験だと思う。次に、ロケーションだね。町田って東京からも神奈川からもアクセスできるから、市内の中心部寄りはもちろん、相模原とか大和、厚木とかあたりから来てる奴らもいて。小学校によってはクラスの半分とかほとんどが中学受験する、みたいなとこもあるってその時知って、同じ小学生でも雰囲気とかノリが違うっていうか。

Q:どんな風に違いましたか?

A:なんだろ、あの年齢にしては考えがませてるというか、大人びてるというか。当時一人で電車とか乗ったことない中、特に神奈川方面の連中が一人で電車で通ってるのもそうだし、話題がなんか大人だったなぁ。もちろん、兄姉がいるとかもあったろうけど、思考が自分とか自分の周りより先に行ってる感覚はあった。俺とかぼんやりしてたしガキっぽかったからさ。特に女の子たちとは思考の深さの違いを感じたね。

Q:小中学校の頃って、女子の方が大人びてましたよね、体も大きかったりしますし。

A:まあ体はこっちもデカかったけどさ(笑)。で、そうそう、大人といえばさ、あの頃の町田ってなかなかいかがわしい雰囲気だったんだよ。

Q:いかがわしい、ですか。

A:振り返ると、ちょうど石原都政で歌舞伎町浄化があった頃で、それこそ日能研のあったビルのそばの踏切渡るとキャッチも多いし、風俗もあって。たしか高校の時とかにはヤクザが駅周りの団地に立てこもったりしたんだよね。なんか「西の歌舞伎町」とか呼ぶ人もいるし、実際横浜線沿いのヨドバシカメラからちょっと行くとラブホとか風俗が今もあるんだけどさ。

Q:そういえば昔、いわゆる「ちょんの間」の私娼が乱立して「田んぼ」とか言われてた、って話を先輩から聞いたことあります。

A:あとヤンキーとか輩も多くて、当時はわかんなかったけど、多分ウェッサイ(west coast hip hop)流しながら走ってたローライダーとか、ちょいちょい見かけたね。

Q:相模原とかもそうですし、横浜あたりのアーティストが来るイメージありますよね、町田。

A:で、ちょうど塾が終わると21時近いわけよ。場所もそういう街だからさ、ちょっと踏切越えて冒険気分だよね。小学生のくせに。キャッチとかスカウトの人たちが怪訝そうな顔してたの、今でも覚えてるよ。あと、駐車場の空きスペースで麦チョコ投げ合ってたり(笑)。

Q:変な遊びしてますね(笑)。

A:さすがに麦チョコ投げてたのは、勉強のしすぎで頭がおかしくなってたんだと思うけどね(笑)。ともかく、小6の頃に男女連れ立ってああいうエリアを見て回ろうなんてのは、今考えたらかなり不思議な経験だったよ。

Q:たしかに、子どもが夜の街をうろつくって、それこそトー横キッズじゃないですけど、そういう何か問題を抱えてるイメージですね。

A:それこそ町田って、駅のホームからテレクラとか見えるんだけど、思えばあの頃って援助交際がもう言葉として出てきてた時代なんだよね。さすがに身近ではなかったけど、『Deep Love』とか小学校で女子が話題にしてるの聞いたことあったわ。

Q:ケータイ小説でしたっけ?随分懐かしいですね。

A:自分の世界の中のことではないけど、決して遠く離れた出来事でもない、って印象だったかな。あの町田の夜の景色のどこかに潜んでたもののひとつとして、朧げながら感じとったものかもね。コギャルとかはそれこそ世代だし、小学校にも塾にもルーズソックス履いた女子はいたし。

Q:すごいですね、小学生でもう。

A:休み時間、小学校の教室にあったラジカセで、モーニング娘。の「Love マシーン」流して踊ってる女子たちとかすごく印象残ってるわ(笑)。

Q:世代ですね(笑)。

A:振り返ると、塾に行き始めた小4以降って、ちょうど男女がお互いの違いを意識し始めてた気がして。それで男女はそれぞれコミュニティが分かれ始めてて。あと、とにかく勉強の進度が全く違うから、勉強の場としての学校がすごく退屈に感じてたね。小4、特に小5とか小学校嫌いだったね。ちょうど酒鬼薔薇聖斗とか、西鉄バスジャックとかあって学校の警備が厳しくなったのもあったから、なんとなく雰囲気も悪かったし。

Q:中学受験の勉強って、時々電車の広告とか見てて、大人でも解けないくらい難しいですもんね

A:たまたま小6の時の担任がすごい理解のある人で、「学期中にやる課題プリント全部終わらせたら図書室行ってていい。それか友達に勉強を教えてあげて」、って言ったんだよね。それで本当に全部プリント終わらせて。教えるクラスメイトが特にいなければ図書室1人で行って、『はだしのゲン』とか戦争マンガをずっと読んでたよ。

Q:普通ならめちゃくちゃ怒られそうですよね。

A:その先生がベテランだったのもあるだろうけど、それこそ中学受験なんてほとんどしない学校だったのに、よく許容してくれたなと。とにかく、その先生のおかげで小学校も息抜きの場として好きになったし、塾は塾で楽しかったし、世界が広がった気がしたね。今でも町田駅周辺はたまに行くけど、やっぱり落ち着くね。あの頃とはだいぶ変わっちゃったけど。

Q:受験、塾、そして町田の市街地エリアと、いろんなものが重なって、小学校ながらに世界がひらけていった時期だったんですね。

A:ところがこれが色々狭まるのが、男子校時代なんだよね。

(続く)

※本記事の続きは、不定期連載としていずれ本サイトで公開する予定です。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる