ウクライナ戦争と第二次世界大戦、そしてイラク戦争。戦争の記憶をたどりながら、戦争とは何か、反戦とは何かを考える断片的評論。戦争が身にまとう幻想と現実を切り分け、いまは歴史的ないし地理的に遠くにみえる戦火に備えるために必要な精神を探る。8月15日を「記念」する第三篇。※断章なので続編ではありません。
Written by イサク
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八月十五日――この日付が日本で、ひいてはアジアの一部国家で第二次世界大戦の終戦記念日とされていることは、実はというと、少しばかり奇妙な話である。大日本帝国がポツダム宣言受諾を決めた八月十四日でもなく、実際に降伏調印を行った九月二日でもなく、たんに天皇がいわゆる「玉音放送」を行ったというだけの十五日が、何かを想起し、何かを誓うべき日とされてきたわけである(以下にリンク先を添付した文献が、この問題についての考察として詳しい)。
それは、法秩序的思考にもとづく日付ではなく、ある種の情緒と結びついた日付である。そしてその情緒にもとづく記憶とは、天皇制国家における支配原理へと、少なくとも「聖断神話」(天皇が国民のために戦争終結を決断してくれたという、大戦後の天皇制社会と結びついた物語)へとたやすく回収されてしまう記憶の形式である――こうした批判は、いましばらくは続けられなければならないだろう。もっとも、こうした批判は、いわば予備的なものに過ぎないのであって、真に批判的な位置をひとに与えるものではないのだが。真に批判的な論者は、日めくりカレンダー的な時間感覚が、戦時パレードの軍靴のリズムと切り離しがたく結びついていることを見逃さないだろう。
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毎年八月十五日になると、「あなたはあの時はどうしておりましたかな? 私は…」といった具合に始まるお馴染みの会話というものがあって、かつてはよく聞かれたものである。終戦時の歳もさまざま、立場もさまざま、右も左も、そのとき自分はどこでどのように「あの日」を迎えたのかを語るのだ。その光景は、あの戦争がたしかに帝国化した国民国家によって取り行われたということ、つまりは文字どおり「総動員」的な全面性を持っていたという当たり前の事実だけでなく、むしろそのような想起の統一書式に、「戦後」にこそ発生した歪な〈共通の土台〉を思わせるのだった。
お盆の時期になると、居間のテレビが年間スケジュール表どおりに流し出す戦争ドラマやらドキュメンタリーやらを、つまらなさそうにスマホを叩きながら横目で見ている若者たちは、そのような昔話にもううんざりしているのだが、かといってそれより語るべきマシな体験、並べてぶつけてみるべき別の体験など手元にはないというのが相場であって、たんなる不勉強者の地位に身を落ち着けるしかないというわけだ。あれだけの戦争体験をした世代の大部分が、以降の世代と比べても、特段倫理的に上等な存在になったわけではないということが、そのような若者たちにとっての慰めになってしまうような事態が訪れなければよいのだが…。
けれども、若者たちこそが耳を澄ませなければならないのは、八月十五日体験という規格の均質性のなかからうっすらと聞こえてくる異音である。たとえば、あの日、一見すると一様に流されたような涙のなかに混じった、より複雑で、より豊富な意味をたたえた涙に気づくことができるだろうか? あの「在日」の作家は、そのような体験を語ってはいなかっただろうか? あのエピキュリアンは、なぜ八月十五日に泣く必要があったのだろうか? 終戦を安堵感とともに迎えたというマルクス主義者を、なぜあのマルクス主義者は許せなく思ったのだろうか?――耳を澄ませて彼/彼女らの声を聞きとり、思考を起動させなければならない。なぜならこういった個々の物語は、均質に塗り込まれたセメントの壁に穿たれた傷のようなものであって、それらに一つひとつ気づき、それらを足掛かりにすることでしか、均質さの向こうを覗くことはできないのだから。スマホはまた明日にでも見ればよい。
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いまだ終わらぬ戦争の終戦の瞬間や「戦後」を想像してみるということは、精神にとってよいトレーニングでありうる。それはただ平和を「願う」よりも高い効果が見込めるはずだ。そしてその際は、ぜひ過去のさまざまな戦争のことも調べて、できるだけ「ありそう」な方向で想像するように心がけた方がよい。そうして巧みな想像力が「ありそう」な方向でまだ見ぬ歴史を紡いでいくと、きっといずれ「やっぱりこんな事態になっちまうか」といった失望を抱くことになるだろう。「人間はなんて愚かなんだろう」と。
そのときは、振出しに戻る、だ。現状から始めて、今度はそれとは別の歴史を探って想像力を働かすのだ、しかし「ありそう」な方向から外れないようにして。そうしてまた失望を感じる。それならまた…。こうした繰り返しのなかで、その繰り返しに少しずつ変化をもたらす要素はなにか。その変化を、人類の歴史にとってよりマシな方向へといたる変化としうる要素とはなにか。それは、今日死んだ、そして明日死ぬであろう、具体的な個々の顔、個々の記憶を持った誰かである。彼/彼女が成しえたであろうことが、永遠に成しえなくなったという、そのような意味での死の均質な蓄積が誰にも見つからぬところに隠してしまった何か。あらゆる未来の歴史の道程を探る想像力が、旅のなかで見つけなければならないのは、そのような死によって秘められた宝なのだ。あらゆる苦慮の先で、ついにその宝を発見したとき、ふと気づけば、それはいつの間にか発見者の手のなかで鈍く輝いているだろう。