街中、競馬場、電車のなか…。「オヤジ」を愛して止まない筆者が、街のそこかしこで出会った「オヤジ」たちとの間に流れる、ちょっとした、しかし忘れがたい時間を回想する。禁断のオヤジ・エスノグラフィ!
Written by 川上修生
大井競馬場のトイレで
最終レースの後、帰りがけに便所に寄り、用を足す。他に人はいない。
最中に、警備員のおやっさんが入ってきた。「従業員も利用させて頂くことがあります」という白々しい告知も、この競馬場には必要なく、当然のごとく彼らも利用する。
「最終は荒れましたか?」
排尿中の私におやっさんは尋ねる。
「ええ。まぁ、ヒモ荒れですね。」
排尿準備を整えた彼に過不足なく答える私。
「そうですか。でもまぁ今日はずっとかたかったですね。」と放尿先から視線を逸らすことなく、続けて返すおやっさん。
「そうですか?1番人気はほとんどアタマにこなかったですけどね。」
彼と私のあいだには、「荒れる、荒れない」について認識の相違があるのだろう。
噛み合わない会話が、さらにこの空間の居心地にむず痒さを与える。
レースが気になりつつも勤労していたおやっさんと、酩酊ほろ酔いの私では、排尿量に差があったようで、あとから用を足していた彼が先にチャックを上げて便器から離れ、私の背後を通り過ぎた。
まだ何やらぶつぶつとつぶやいているが、排尿の終わり際が気になる私はそれほど耳を傾けるつもりはない。
手洗いに向かうかと思われたおやっさんはそのまま、「じゃあ、ありがとうございましたー。」と言い、私にも手洗い場にも見向きもせず、出ていった。
大井町線でわっさー
梅雨のある日、大井町線に乗車中。
何気なく右隣に座るおじさんの腕に目がいった。
そこには親指の腹大のほくろがあり、そこから勢いよく数本の毛がわっさーと生えていた。
頭を垂れた稲穂のように勢いよく、わっさーと。その周囲には一本たりとも毛はないのに。
そこだけわっさーと!
ある40代の男と
ある40代後半の男と都内のあちらこちらを車で移動することがあった。たしか2015年あたりのこと。
御徒町、六本木、代官山。
彼は各街を通り過ぎるたびに、その街で知り合った女との思い出話をとりとめなく話す。
普段はそれぞれに分断された「点」の集まりに過ぎないような街々も、道路を進むことで、ひとつの「線」上に現れる。
過去の思い出もその線ができることで結びつきが取り戻され、時間を大きく前後しながらよみがえる。
けれども、彼の話は、最後には現在の自分のふがいなさを嘆くところに帰る。
「でも、それだけ若い頃に遊んでたことは、ある意味財産なんじゃないんですか?」と聞くに疲れたころに尋ねると、
「金さえあれば、年取ってからでも遊べる。若い頃に将来を考えて、金を持てるようにしてなきゃダメでしたよ。」との返事。
10年後の彼が見た2015年の彼は、どの街にいるのだろう。その10年後は…? オヤジたちの生きる、10年後とは…?