ネジが批評眼を持つとき

本記事は、二つの部分から成っていると言ってよい。就職活動のなかで、若者が「社会」によって強いられる悪しき状況についての考察である前半と、現代における〈批評〉の可能性を特定しようとする後半と、である。読者がその二つを交差させるとき、見えてくるものとは何か?

Written by イサク

事物の地平

コロナ・ウイルスのパンデミックは、世界をどれほど変化させているのだろうか?――その全貌を、僕らはまだ認識できていない。そこでは、労働や就職のあり方も著しい変化を遂げるのであろうか? コロナ禍以前に、あれほどわずらわしく、生活のための一般的方途であるにもかかわらず、時にはあまりに馬鹿らしいものにも見えた都会での就職活動も、まるで異なる相貌を見せることになったのだろうか?

いわゆる就活というものは、それが生きるための必要として意識されればされるほど、また大学生にとって手堅い将来へといたる数少ない方途として現れれば現れるほど、逆に、そのとんでもなく馬鹿げた様子が鮮明になってくる――少なくともいまから10年ほど前、僕が大学生であった頃はそのような代物であった。「生きる」という言葉が持つ真剣さと、「そのため…」とされるもののくだらなさとの隔離に、周囲の友人たちには愕然としている者もいた。…いたが、「一人前として生きていくために」就活を続けていた。

たとえば、希望する会社の面接に行くとする。ホームページには、「服装自由」と書いてある。ところが、いざ多少カジュアルな格好で行くと、面接官のオジサンに「本当に自由な格好で来たんだねぇ」などと嫌味を言われる。そうして、あたかも豊かな「経験」を培ってきたとでも言いたそうな顔をした彼らに、「君たちの時代は大変だよ? もっと必死にならなきゃねぇ」などといった文句を吐かれたうえ、さらに運が悪ければ説教まで喰らうはめになるわけである。「お前らがこんな時代にしちまったんだろうが」などと反論するわけにはいかない。不満が顔に出ないよう、喉から下にどうにか押し込み、「はい!勉強になります!」などと答えておく必要がある。

そのような悲喜劇にいちいち付き合うわけにもいかないので、就活や入社式にのぞむ若者たちは、悪いかたちで目立たぬように細心の注意を払うことになる。たとえば、いかなる服装をしていけばよいか?――その疑問をたずさえてインターネットをめぐってみると、どこかの誰かが就活や入社式に「ふさわしい」服装や髪型の「マナー」を教授してくれる。そうしていざ会社に赴いてみると、同じ、同じ、同じ! 服装から髪型まで同じ、これ以上ないほど画一化された若者たちの姿が並ぶというわけである。

すぐに就職先が決まったのならまだいい。だが、この無意味とは言わずとも意味軽薄なゲームに付き合わされ、おまけに見ず知らずの他人に、自らの人生をボロクソに否定されるような事態にすらあってきて、なお就職先が決まらず、しばらく苦労を続けなければならない若者も当然いる。それらの者のなかには、当然、ニヒリスティックな意識を持つ者も出てくる。「自分はネジになるんだ、どうにか社会のネジになって生きていくしかないんだ」というわけである。そこでのニヒリズムは、「社会」――まさに「社会人」とか「社会に出る」といったかたちで用いられる際の、最もくだらない意味での「社会」――から自己の身を守るための鎧である。彼/彼女らは、自身が「社会のネジ」になることすらできないかもしれないということを知っており、その不安から、自らをより部品へと、規格品へと変えていこうとする自虐的な意思を持つにいたるのである。

そのような光景を見ると、むしろ「ネジになってしまえ」と勧めたくなる思いが湧いてくる――「なら一層のこと、より徹底的にネジになるよう努力したまえ、一切の人間性など捨ててしまえ」と。趣味や友人との時間を持つことで半端に精神の回復を望もうなどと思うな。勝手に死んでしまおうなどとすら思うな。人間的に生きるための諸権利とともに、自死の権利までも捨ててしまえ――というのも、そうすると、意外な成果を手に入れることができるかもしれないからだ。

というのも、もし完全に「ネジ」になってしまえたとしたら、それは自らを〈事物の地平〉へと導いたことを意味するからである。徹底的な非人間への没落の先に、自分の身の回りにある物と同じ地平で、世界に対する事物からの視点というものを獲得することになる。そうして、そこに生まれる可能性があるものとは、事物が持ちたくてもなかなか持てないでいる、〈事物からの批評眼〉である。この批評眼、そこまで酷くない会社に関われた者や「社会」のなかで上手く立ち回ることのできる者には持つことのできない、この批評眼こそが、新たに人間再生への折り返し地点となる。「社会の現実は厳しいんだ」とか「社会に出たら、みんなそうやってきたんだ」などといった欺瞞を語るオヤジたちが言う、その「社会」というやつを破壊することができる強力な武器になるのだ。

批評の行方

しかし、それは批評(critic;≒評論)というものが機能しているかぎりでの話だ。では批評は、現在においてどのように可能なのだろうか? いわゆる解説や紹介とは区別されるところの〈批評〉なるものが、いまもなお可能なのであろうか? というのも、批評とは、実はとうの昔にその困難が告げられている代物だからである。「批評の凋落を嘆く愚か者たち」――と、「批評家」ヴァルター・ベンヤミンは百年ほど前に書いている。

批評の命脈は、もうとっくに尽きているというのに。批評とは、正しく距離を取ることである。批評が本来住っている世界とは、遠近法的眺望(パースペクティヴ)と全体的眺望(プロスペクト)が大事である世界、ひとつの立場を取ることがまだ可能であった世界なのだ。それに対し現在では、もろもろの事物があまりにも緊急に、人間社会に迫ってきている。〈偏見のなさ〉とか〈自由なまなざし〉といったものは――単に当事者になれないことの、まったくおめでたい表現でないとすれば――嘘になってしまった。今日における最も本質的な、事物の核心に届くまなざしは、商業的なまなざしであり、それは広告と呼ばれている

久保哲司訳「一方通行路(Einbahnstraße)」、『ベンヤミン ・コレクション3:記憶への旅』所収、ちくま学芸文庫

対象との距離を必要とする批評に対して、広告は、対象を僕らの鼻先にまで突きつける。テレビやネットの広告や街中の巨大な看板を想い起こしてみるといい。広告は、対象(商品)を人びとの眼前に投げ込むことに躍起になっている。そして首尾よく僕らがそれに喰らいついたなら、逃れることの困難な針でもって対象(商品)を獲物に結びつけるのである。そういった広告なるものの技法が支配的である世界において、いまだ批評が十分に機能しているとか、最近になって危機に瀕しているなどとうそぶくことは、ずいぶんおめでたい見解だ、とベンヤミンは述べているのだ。

となると、仮に僕らが必死にネジになりきったとしても、つまりはその先で事物と同じ地平に立って非人間からの新たな視野を獲得できたとしても、今度はその地平上でほかの物事との距離感が取れないことが露わになるだろう。結局、僕らの批評眼は機能することができず、逆に本物の盲目性を、本当に都合よく使い捨てられるだけの消耗品としての性質を、自分の身に纏ってしまうことになりかねないわけだ。それは、困る。

では、どうすればいいのだろうか? ベンヤミンの考えを覗いてみよう。彼が考えたのは、広告と敵対してそれを殲滅し、再度高らかに批評の旗を掲げようなどという方向ではなかった。むしろ、それとは逆のことを、彼は考えていたようである。すなわち、広告の持つ力を批評が吸収するのである。広告という世界史的な趨勢に乗り、その勢いを利用すると言ってもよい。ベンヤミンは、この機に乗じて「事柄に即した態度(ザッハリヒカイト)」で批評を行うべきだ、などという批評家の欺瞞をお払い箱にし、より身軽で、攻撃的な批評のスタイルをモノにしようとしたのだった。「標語を打ち出せ」――と、その技法に関して、ベンヤミンは説いている。「ただしその裏にある考えを、人に悟られないようにせよ」(同上)。それは、まさに広告が僕らに向けて用いている技法なのである。

【出典:The Other 98%(Facebook). 裏にある考えを隠そうとしているかどうかは別にして、現在において最も広告的な身軽さを手に入れた批評のスタイルは、いわゆるインターネット・ミーム(meme)であるだろう。インターネット上に散らばっているさまざまな批評的ミームは、批評にとってユーモアが持つ重要性を思わせる。】

ところで、この時期のベンヤミンがそのように戦略家ぶることができたのは、ある特定の党派を一応支持していたからでもある。けれども、僕らにそのようなことは容易だろうか? 左右関係なく、何らかの党派を信じきるなどということは、もはやカルト的な妄信にしか見えないのではないだろうか? その理由は、批評の命脈以上に、政党政治の命脈の方がとっくに尽きているからなのだ――それに代わる体制も生み出せていないにもかかわらず、である(この問題はいずれ別の記事で考察しよう)。そこからは、いかなる政治的な支持と選択へと向かえばよいかがまるで考えられなくなるという、さらに悪化した症状にまでいたるであろう。

しかし、そうすると、広告のように振る舞うようになった批評の立場は、そこで本物の広告と何か違いを持てるのだろうか? 広告と批評は、見分けがたく融合してしまうのではないだろうか? 批評家ないし評論家を名乗りながら、レヴューだの解説だのと語って新商品の広告そのものを担っている人間たちは、たんにお金欲しさからではなく、まさにそのような困難から生じてきたのではないだろうか? ところで、このサイトも広告だらけになってはいないだろうか? この場所で批評と広告は、どのような関係を持てているだろうか?

新たな批評家たる、「社会」のネジたちやネジにすらなれなかったモノたち。彼/彼女らも、この困難から始めなければならない。広告と批評が混じり合ったところを始発点として、逆に社会のすべての広告に批評的なものを浸透させようというほどのことを企んでいかなければならない。なぜなら、批評、すなわち物事から距離を取るその身軽なステップは、これまで以上に広告が浸透した僕らの時代においては一層必要とされるからである。

ベンヤミンは、次のようにも書いていたのだった。すなわち、「広告をこれほどまでに批評より優れたものにしているのは、結局のところ何か。赤く流れる電光文字が語る内容ではない。――アスファルトの上でそれらの文字を映して、火のように輝いている水溜りなのだ」と(同上)。無謀にも「総合文化評論」を名乗る本サイトは、そのような、汚れた水溜りが広がり輝く魅惑の都市であることを目指すべきだろう。つまりは、まるで映画『ブレードランナー(Blade Runner)』(1982年)が描き出したような雨降る暗がり都市を。もしくはあの、『AKIRA』(1982-1990年、映画版1988年)が舞台とした混沌と秩序の狭間の都市を。

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