サイトの記事について
2021年のクリスマス・イヴに開始された本サイトでは、基本的に毎月「3の倍数日」に記事が公開されます。おおよそ月に10本です。ただし都合により、変更・休載する場合がございます。
本サイトには、6つのカテゴリーがあります。それらのカテゴリーは、6つの人間の基礎的な行為をモチーフにして設定されたものです。記事は、いずれか一つのカテゴリーに分類されて掲載されますが、実際には複数のカテゴリーにまたがる内容のものもあるので、分類は便宜的なものとご理解ください。
本サイトでは、単発の記事(前後編を含む)のほか、ときには何回かにわたる連載・不定期連載の記事も掲載されます。連載の場合、記事は連載名のタグで順番に表示することができます。
記事における文献・他サイト等からの引用手続きに関しては、それぞれの記事の筆者がその責任を負うこととします。
一度公開された記事は、公開後に誤字脱字等が修正されることや、新たな関連記事が埋め込まれることがあります。
また本サイトでは、いわゆる批評記事だけでなく、一般的に作品そのものと考えられるものも公開することがあります(たとえば短編小説、絵画・写真作品、紀行文など)。それは、作品自体もまた政治や社会に対する批評的力を持つ、という考えからです。
またいずれ記事の一般募集を開始いたします。それについては、のちに公開される予定の「執筆要綱」をご覧ください。
本サイトは、政治的な話題を避けることはしません。そして政治的スタンスとしては〈民主主義〉を掲げます。
本サイトのモチーフについて
文化の総合性
本サイト、総合文化評論サイト「サイバー・モンパルナス」は、あらゆる意味で困難なこの時代に、どうにか批評(criticism:評論)の精神を確保するための場を求めて立ち上げられました。
たとえば、映画を専門にするサイト、音楽を専門にするサイトといったものは、すでにいくつもあります。そうして専門特化した方が、読者の目的にも適しているのでしょう。
しかし、本サイトがあえて総合文化評論サイトというやや大層にも響きかねないお題目を掲げたのは、一つのジャンルのなかですら作品趣向の棲み分けが進んでいる現代に抗して、〈文化〉という一言のなかに詰め込まれたさまざまな営みを総合的に視野に収めるためです。
批評の精神
評論と批評という語は、英語ではともにcriticismですが、日本語ではわずかに感覚的な違いがあるように思います。評論がいわばニュートラルな響きがするのに対して、批評は字のごとく批判性のニュアンスがより出るでしょう。批評とは、〈批判〉をとおして物事に適切な距離を与えることです。批判という語は、現在日本では「〇〇が悪い」「〇〇じゃ駄目だ」などと判定することと思われていますが、本当はそのような判定ではない、少なくともそこに核心はないのであって、むしろ制限的否定の力そのものに関わるものです。否定は適切に制限されて使用されたとき、他者との間に〈対話〉を可能とする空間を生み出し、また自己の内部では〈反省〉を生み出すことになるのです。
もしかするとそのような批判性は、現代では機能不全に陥っているかもしれません。そうなると否定は、あらゆる領域において無制限に拡大していくことになります。〈批判〉であったはずのものは究極的には他者の存在抹消へと至り、内面での〈反省〉は自己嫌悪へと変質するでしょう。だとすると、批評とは、私たちの時代では文字どおりに「必要」なものとなります。
本サイトが目指すのは、こうしたものとしての批評です。その意味では評論という語よりも批評の方がサイト名にふさわしいとも考えましたが、評論という語を批評性が占領すべきだという意志を込めて、あえて「総合文化評論」をサイトの旗として掲げました。
しかし批評には、忘れるわけにはいかないもう一つの重要な役割があります。それは、〈救済〉とでも呼ぶべきものです。すなわち、個々の作品の内部にある微かな動きや、作品と作品の間、あるいは作品と評論の書き手自身の間にある微かで目立たない結びつき、世界の奥底で暗渠のように流れる精神の水脈を捉えること。それをとおして、見失うわけにはいかない理念の輝きや、時代に抵抗するための武器となるようなモチーフをすくい出すこと。それがここでの〈救済〉の意味です。それは他者や作品をとおした自己の〈救済〉でもあります。こうした〈批判〉と〈救済〉という批評の使命の一端を、本サイトが担うことができればと思っております。
モンパルナスの地脈
本サイトに掲載された記事は、さまざまな立場で、さまざまな生活をおくっている書き手によって書かれたものです。しかし、そうして個々の状況や作品へと向きあうなかから生まれた記事を、それぞれ断片として捉え、それらを自在に組み合わせることでまだ見ぬ思想の模様を描くことも、本サイトで試みられるべき実験だと考えています。
その模様からクリティークな理念や、世界を映し出す豊かなモチーフを獲得することができるかもしれません。それは、サイト内部のどこかのページにおいて生み出されるだけでなく、読者皆様の頭のなかにおいても生み出されるのが望ましいでしょう(本サイトのカテゴリーやタグ、検索といった機能は、そのための補助機能にすぎません)。
こうした試みにふさわしい場の名前を考えていて、ある暖かな夕方、ちょっとだけふざけた響きもする、ちょうど良い名前を思いつきました。
モンパルナス(Montparnasse)とは、20世紀初頭のパリで芸術家や思想家が集まって生活し、相互に批評しあって自身を高めあっていた場所です。そういった批評的で創造的な場所への憧れから、東京でも池袋にあった芸術家や思想家たちの共同アトリエが「池袋モンパルナス」と呼ばれたことがあり、また彼/彼女らの活動と作品そのものを指してこの名が使われたこともありました。
偉大な先人たちの営みを継承したいという思いから、こうした経緯にあやかって本サイトの名前を決めました。考えてみると、本来のパリ・モンパルナスも、古代ギリシャにてさまざまな〈文化〉の発祥の地とされたパルナッソス山にあやかっているのですから、それ自体、時空を超えた都市間の継承の試みであったと言えるかもしれません。
都市の雑多な空気を目一杯吸い込んだようなサイトにしようというモチーフも、以上のような意図を総括するところから生まれてきました。すなわち――思い描いて欲しいのですが――、都市という形象に〈文化の集積地〉という意味を読み込み、文化を整理して秩序づけ、雑多さを消去してしまうのではないやり方でそれと向き合うことによって、その内なる〈雑多性〉を最大限引き出す――そのようにして雑多性を引き出された心象の都市こそが、批評が深く呼吸をし、〈批判〉と〈救済〉というその両義的な使命を果たす場所なのです。なぜなら、たんなる多様性とは異なる〈雑多性〉こそが文化にふさわしい場所なのですから。
さて、本サイトのモチーフは、パルナッソス山に連なる都市の系譜というものとは別に、もう一つあります。実際に、サイトデザインの一部やいくつかの記事は、そのもう一つのモチーフにもとづいて制作されたものです。しかしこれ以上、それについて云々することはしません。それがどのようなものであるかは、本サイトの諸要素から訪問者の皆様が推測するままにお任せします。
それでは、記事をお楽しみください。
サイト編集部の連絡先について
本サイトや記事についてのご感想、ライターについての問い合わせ、および本サイト編集部へのご連絡は、以下のメールアドレスまでお願いします。
サイバー・モンパルナス編集部
cyber-montparnasse@gmail.com
また本サイトのTwitterアカウントで、新記事の公開情報、イベント情報、何人かのライターの世間話などをツイートしています。ぜひフォローしてください。
アカウント名:サイバー・モンパルナス
@cybermontparnas
(終わり)
社会が背負う無秩序の量を変えもしないで
社会の指導者を変えるだけでは、
最終的には何ら革命がなされていないのと同じである。
マルクスは一八四四年の草稿のなかで
このことを理解していた。
彼は、革命後の世界における自由とは、
秩序の要求を超越することである、と記している。
―リチャード・セネット