人間の最も基礎的な行為の一つである、歩く、ということ。本記事は、人間の歩き方をめぐる三つの短い考察から、それが持つ批評的な可能性を引き出そうと試みる。歩き方がどのようなものであるかによって、世界の見え方はまるで違ったものになる、かもしれない。
Written by イサク
時間を引き延ばす
中央線沿いにあるアパートから最寄り駅へと急いでいた初夏のある朝、一人の老人が歩いているのを見た。毎朝ドタバタと早足で駅へと向かう、もはやほとんど関心を払うこともなくなった見慣れた住宅街の道で、その老いた男性に目を奪われた。どうやらその老人も駅方面へと向かっている様子なのであるが、その歩みが、あまりにも遅いのである。「老人がゆっくり歩くのなんて当たり前だ」と思われるかもしれないが、その老人の歩みはこれまで見たことがない程に遅々としていた。
大股でドカドカと地面を踏みしめて進む僕の1歩分の距離を、老人は30歩くらいに小分けして進んでいた。杖を片手に、右足を爪先分ほど滑らせたら、すかさず今度は左足を爪先分だけ前に出す。外出用の小綺麗な衣装に身を包んだ老人は、この反復運動に夢中であるようだった。その歩みがあまりに遅々としているため、前進そのものというよりも、前進するという意志だけが目の前に現出しているようであった。僕は、小学校の長い廊下の手すりを必死に渡り切ろうとしている芋虫を、ただただジーっと見つめていた、遠い昔の初夏の記憶を思い出していた。
眩暈がするような思いがした。「この老人が駅に向かっているのだとしたら…」。駅までは、まだ僕の足でも10分以上はかかる。僕の1歩分にたっぷり1分は使っていそうなこの老人は、はたしていつ駅にたどり着くのだろうか? もしかすると、僕が仕事を終えて帰ってきたときに、この老人はまだ駅への前進を止めていないのではないか? そう思うと、何か手を貸すべきかもしれないという考えもよぎったが、バスにも乗らずに歩いているのにはそれなりに理由があるようにも思え、僕は老人を追い越して駅へと急いだ。夕方に同じ道を帰ったときには、その老人は見かけなかった。
この、ゆっくりと前進する老人の歩みは、イメージとして、すっかり僕の脳内に居場所を獲得してしまった。僕は駅にいたる一直線の通勤路を歩くたびに、その歩みについて考えるようになった。そしてそのときには、いつも決まってある映画を連想した。デヴィッド・リンチ監督の『ストレイト・ストーリー(The Straight Story)』(1999年)である。喧嘩別れしてから長年会っていなかった兄が倒れたと聞き、兄に会うために、足腰の悪い老人が350マイルを一人で旅するという、実話をもとにしたロードムービーだ。主人公の老人(演リチャード・ファーンズワース)は、この長い道程を芝刈り機に乗って移動するのである。
兄が死んでしまう前にどうにかもう一度会うために、自分が唯一運転できる時速5マイル程度の芝刈り機に乗って、ノロノロと急ぐ老人。老人は、仮に急いではいたとしても、自らの遅々とした歩みには一切の疑念を抱いていない。彼は、彼を心配する周りの人間や映画を観ている僕らとは、まるで異なる時間の流れを生きているようであった。リンチ監督は、この作品で「老人の時間」を描き出している。時間の流れは、たとえば楽しい時間はあっという間に過ぎ、辛い時間はいつまでも続くと感じられるように、僕らの感覚においていつも同じように流れているわけではない。同様に、老いるということもまた、時間の流れに特有のリズムとペースを与えるのである。
芝刈り機で旅をする老人は、旅のなかで多くの人間たちに出会う。その一つひとつの出会いが、彼の人間性をより濃くしていく。このような出会いは、まさに老いによって与えられた、異質なほどにゆっくりと流れる時間が彼にもたらしたものである。それが重要なのだ。車で一走り、あっという間に兄の住居へ着いてしまう者であれば、このような出会いを得ることはなかっただろう。そこに映画は生まれなかっただろう。
駅に向かってチビチビと歩いていたあの老人も、そのような時間を生きていたのではなかったか? 一歩一歩と進むたびに、そこに流れる時間を引き伸ばしてしまうかのような、その歩みのなかで、駅へと急ぐだけの僕らでは気づかない、諸々の人間や事象との出会いを過ごしていたのではなかったか? 歩みのあり方が、生きられる時間の流れに緩急を与える。
観念の森で
歩き方というものは、老いや若さによってだけでなく、文化や環境の生み出す空気によっても変わってくる。そのことをありありと感じたのは、一ヶ月足らずほどをカリフォルニアで過ごした、ある夏のことであった。
はじめて訪れたロサンゼルス、特に海沿いのエリアでは、いかにも「ぶらつく」という言葉がふさわしいような歩行者が数多く見られた。何をするというわけでもなく、キャップにサングラス、上半身裸といった格好で、腕を大きく振りながら大股で歩くアフリカ系やチカーノの若者は、かんかん照りの太陽と海沿いを吹く涼しい風に、完璧に調和していた。
それに対して、サンフランシスコの人びとはというと、東京のビジネス街を歩く人たちとほとんど変わらぬ具合に、スタスタと忙しそうに歩いていた。ロサンゼルスでは道行く人にずいぶんと話しかけられたものだったが――「大荷物ね、どこ行くの?」とか「お洒落なシャツだね」といったちょっとした挨拶が大半だ――、サンフランシスコでそのように話しかけられることはなかった。ロサンゼルスで暮らしているある日系三世のおばさんは、「サンフランシスコの人間は無駄にせわしないのよ、もっと自分の時間を持つべきね」などと話していた。「ゆっくり歩いていると、いつまでも坂を登る羽目になるからかもね」などという談笑を交わらした記憶がある。
もしかすると、ロサンゼルスとサンフランシスコでは自由やフェアといった概念が連想させるイメージも、微妙に異なったものであるのかもしれない――ホテルの自室へ戻ったあと、いささか突飛ではるがベッドに寝転がりながらそんなことを考えた。自由という観念が、ロサンゼルスとサンフランシスコのそれぞれの文化環境に、それぞれ異なるかたちで着床し、簇生している。そのような文化史上のイメージが頭をよぎる。そしておそらく彼らの歩き方は、それぞれの自由やフェアやその他の観念が生えた森を歩くのに、それぞれ適した身振りとして育まれたものなのだ。彼らは、それぞれの仕方でその森に対応した生活を、時間の流れを、過ごしている。そして僕には、こと自由に関しては、ロサンゼルスの方が遥かに魅力的なかたちでそれを表現しているように思えた。そこでの自由は、ただ使い勝手の悪い権利として、どこかの誰かから与えられているようなものには見えなかった。
このベッドの上での突飛な空想は、何もロサンゼルスとサンフランシスコという二つの都市の比較に留まっているわけにはいかない。続けて、次のように考えてみるべきなのだ。たとえば自由について――いかなる都市が、いかなる空間が、どのような自由の具体的内容と結びついているのか。あるいは、いかなる歩き方が、どのような自由を呼び込むものであるのか。もちろん、自由に限った話ではない。もしかすると、歩き方一つで、僕らは、自らの生きる観念の森全体に、たとえわずかではあれ、変化を生じさせることができるかもしれないのだ――ちょうど藪を手で分けて歩くようなやり方で。
遊歩の作法
ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンは、かつて19世紀パリの文化史についての作品群やメモのなかで、繰り返し「遊歩者(flâneur)」に言及していた。『パサージュ論』と呼ばれるこの膨大なメモ書きといくつかの論文作品において、遊歩者、すなわち目的を持たず、気ままに街路を歩き、商店のガラス窓の向こうに飾られた商品を見て楽しむ者たちは、中心的な役割を果たす形象の一つであった。ベンヤミンは、たとえば遊歩者について次のように書き留めている。
遊歩者は、市民が自宅の四方の壁のなかに住むように、家々の正面と正面の間に住む。彼にとっては、商店のきらきらと光る看板が、市民にとっての客間の油絵と同じもの、それ以上のもの、壁の装飾なのであり、家の壁が書斎の机であって、彼は彼のメモ帳をそこに押しあてる。新聞売りの屋台が彼の書庫、喫茶店のテラスが彼の出窓だ。彼は一仕事おえるとその出窓から、彼の住居の全体を見わたす。
今村仁司ほか訳『パサージュ論』I (岩波文庫、2020年)
商店のきらびやかな看板や、ゴシック風、あるいはルネサンス風に飾られた建物、華やかな衣装に身を包んでエレガントに振る舞う女性たち。これら19世紀の麗しきパリを構成する諸要素は、ベンヤミンによると、近代、あるいは資本主義が生み出す幻影である。夢のなかのような、あるいは麻酔的陶酔のなかのような幻影に包まれて、街行く人びとは流れていく(その光景は、現在の銀座や六本木の光景と大して変わらないかもしれない)。遊歩者もまた、そのような群衆のなかに紛れ込んでいる。彼らは、まるで街路を自らの住居としているようですらある。彼らの、その遊歩の足取りを示す面白い逸話として、ベンヤミンはしばしば次のような挿話を引用する――すなわち、あるとき遊歩者のあいだで、紐に繋いだ亀を連れて歩くのが街路を遊歩する洒落た作法として流行した、というのである。亀の足取りに合わせた遅々とした歩みこそが、遊歩において目指される指標だった。何を隠そう、ベンヤミン自身もそのような歩き方を心得ていたようである。あるベンヤミンについての証言は、彼は前進と停止を同時に行うような足取りで歩いたと伝えている。
しかし、彼ら遊歩者は、近代都市が生み出すきらびやかな幻影に、完全に呑み込まれてしまっているわけではない。それどころか、群衆にすら完全に溶け込んでいるわけでもない。彼らは、むしろ街路での陶酔経験を利用して、誰もが忘れてしまったような街路の瑣末事を追想する。埃をかぶった過去までも自らの経験に吸収してしまうのである。彼らが孤独に当て所もなく歩いてまわる際に行なっているのは、こういった、事物に対するある種の批評的な〈観察〉である。この無為のなかでの観察は、彼らに事物や現実世界が持っている別の可能性についてのヴィジョンを与える。潜在的な別のあり方へと飛躍する可能性を、影としてともなった事物――そういった意味での形象を、遊歩者たちは収集するのだ。それは、ベンヤミンが言う意味での〈救済〉そのものである。その意味で、彼らは〈天使〉にすら近い。こう言い換えてもいい。目的もなく、亀のような足取りで、事物を観察して歩く遊歩者たちは、ある種の評論家、事物や世界の可能性を引き出すことを旨とする救済者としての評論家なのだ、と。
さて、ここまでいくつかの歩き方を思いつくままに論じてきた。取りあげたもののほとんどがゆっくりとした歩み方であったことには、遅々とした歩みこそが持つ、ある種の〈余裕〉が関わっているだろう。この〈余裕〉が、出会いや自由や批評的距離を獲得する機会を与えてくれるのである。
そして実は、これはただ実際の道を歩いているときにだけ有効な技法ではない。インターネットという巨大な都市の街路を歩きまわる際にも、この技法は役立つのだ。急がず、焦らず、亀のような、あるいは老人のような歩みで、この新しい都市を歩くことができたとき、僕らはその空間との新たな関係を結ぶことができるだろう。