「戦争と記憶」論・断章(2)

ウクライナ戦争と第二次世界大戦、そしてイラク戦争。戦争の記憶をたどりながら、戦争とは何か、反戦とは何かを考える断片的評論。戦争が身にまとう幻想と現実を切り分け、いまは歴史的ないし地理的に遠くにみえる戦火に備えるために必要な精神を探る。第二篇。※断章なので続編ではありません。

Written by イサク

 ※

ある日の夕方、東京下町で古びた赤ちょうちんの居酒屋に入った。店の大将は80歳を超えていて、この店もずいぶん長くやっているようだった。客は僕しかいなかった。調理場で慣れた手つきで魚をさばいている大将を横目に、僕は女将さんにうながされてカウンター席に座った。

たわいもない会話を大将・女将さんと交わしていたが、ふと東京大空襲の話へといたった。女将さんは他県出身とのことだが、大将の方はあの日、浅草で降りしきる爆弾のなかを逃げてまわったという。燃え盛る街、焼け焦げた死体、逃げるひとの群れ…。どうにか火の手がまわっていない地域へと逃げ切ったという大将の話は、おおよそこういった過去が記憶のなかに消えることなく残す、あの、にぶく光った痕跡の持つあらゆる特徴を有していた。「戦争ってぇのはひどいもんだ…」と、それまでずいぶんと快活であった大将が話の終わりに萎れるような調子で言ったセリフを、僕はビールと一緒に流し込んだ。

客は、ほかにやってはこなかった。僕は刺身と煮つけをアテに酒を飲みつつ、大将と話し続けていた。話の内容は移り変わり、空にずいぶん居座っていた夏の太陽も、さすがに気まずくなったのか、地平の向こうに帰っていったらしい。店の外からは夜の気配が入り込んできた。

そろそろ帰ろうかと会計の用意にとりかかったとき、店の隅に備えつけられたテレビが、中国漁船の日本領海への侵入を報じはじめた。大将も女将さんもテレビをじっと見ている。そうして番組が次のニュースへと変わったとき、大将は強い語気で次のように言った。「やられるまえにやっちまうしかねぇよ!」と。僕は驚いて、すぐに「本当にそう思われますか?」ときいた。すると、「そりゃそうさ。中国は信用できないね。これからの戦争は女も子どもも戦わないといかん!」と言うのだ。僕は眩暈に襲われ、僕の、返答しようと出かけた言葉は、喉の奥で震えて消えていってしまった。

大将にとって、自身が若い頃に体験した悲惨なる戦争の記憶は、反戦の思想へと結びつくものではなかったのだ。なにか〈共通の土台〉だと思って、僕がそこでの会話の前提としていたような〈結びつき〉が、実はあらかじめ欠如していたという驚きに、僕は吐き出す言葉を見失ってしまっていた――しかし、女も子どもも戦争に行かせようなんて! 大将の言葉にしきりに同意して、中国脅威論を話している女将さんの声を、もうそこまではっきりと受け取ることを僕の耳はやめていた。

ガラガラッと音がして、店の扉から日に焼けた小学生ほどの女の子たちが三人ほど入ってきた。「おじいちゃん、おばあちゃん、ただいま!」と元気よく言って、店を通り抜けて奥の住宅部分に入っていった。プールに行っていたらしい。なんというタイミングだろう! 僕は、「おかえり」とにこやかに返している大将に向かって、いささか意地悪ではあるが、しかしそれでも正当な〈結びつき〉を示唆してやろうと考えた。考えた、というよりも、先ほど飲み込んだ言葉が、姿を変えて口から飛び出してきたというべきだろう――「ということはつまり、いまのお孫さんたちも戦場に送り込んで、飛びしきる銃弾や、肉体を吹き飛ばす爆弾や、絶望的な飢餓や疲労や恐怖のなかに身を置かせたいということですね? 祖国のためには孫娘も差し出そうというわけですね?」

大将と女将さんは、その〈結びつき〉にまるで思いいたったことがなかったらしい。突然の、しかし当然の帰結に驚いた様子で、黙ってしまった。僕は財布からお金を取り出しつつ、「僕としては、自分の子どもや孫を戦争に関わらせることのない世界をつくるよう努力したいところです」と言って店をあとにした。

この貴重な齟齬の体験は、これまであまり考えたことのなかった重要な問題を、僕に意識させることとなった。すなわち、しばしば「戦争の記憶を語り継ぐこと」は「反戦」を当たり前の帰結として前提としてしまっているが、実は両者の関係は不確かなものでしかないということだ。「戦争の記憶を語り継ぐこと」が「反戦」思想を生み出すのではない。むしろ、「反戦」という規範言説が先に存在し、そのなかで「戦争の記憶を語り継ぐこと」がなされたとき、そこで初めて戦争の記憶は「反戦」と結びつくのである。

したがって、「反戦」は、戦争の記憶に寄りかかることで自身を維持・強化できると考えるべきではない。いわばそれ自体、自律的なものとして自身の確立を目指さなければならないのである。そのような過程を歩むなかで初めて、記憶は、巨大な素材倉庫として、あるいは構成の隠れた原理として、自身の活用方途を示してくれるだろう。

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日本においては、「本音」や「真実」といったものは、なにか汚いもの、残酷なもの、暴力的であるしかないものとして考えられるという奇妙な因習が存在している。世界は残酷なはずだし、他者は胸のうちでは私利私欲にかられているはずだし、他国は常に侵略を企んでいるはず…。要するに渡る世間は鬼ばかりのはずだというのが、この国民国家に根付いている通俗哲学なのだ。

この通俗哲学が、たとえば「日本は治安が良い」という一見矛盾しそうな観念とどのように結びついているかなどについては研究が必要であるが、ともかく、「平和」や「共生」といったお題目は、この種の哲学の手にかかれば、すぐさま「偽善」「理想論」として退けられてしまうのである。

それでもかつては、「本音」より「建て前」こそが公共空間を形成するものだとされていて、いわばフィクションとしての「建て前」の方に、「本音」よりも大きな価値が置かれていたものであった。しかし、20世紀末より流行しだした「ぶっちゃけ」主義は、そのような「建て前」の価値を大きく損なわせることに成功している。芸人やタレントと呼ばれる人種が口にするブラックジョークは「内心でみんなが思っていることの代弁」として人気を博すようになり、科学者や学者と呼ばれる人種のあいだですら、実はそれほど学術的価値があるわけでもない過激な「ぶっちゃけ」にこそより「真実」が表現されていると見なされるようになっている。

こうした――実は陳腐な――性悪説は、他者に対して警戒をし、一定の距離を取ろうとする態度を導き出すということ以上に、むしろ自身が好き勝手行為ないし発言するということ、世界と人間を性悪なものだとすることをとおして、自身を甘やかすという方向により寄与しているように思われる。「事物との相互交渉としての経験」(藤田省三)が失われ、そのことによって「自由の精神」までもが失われた先に生じる、いわば自由と我儘の取り違えの一つの結果だと考えるべきだろう。こうして「平和」や「共生」や「自由」といった諸観念は、常にその活動を妨害され続けるだろう――真の哲学が、この種の通俗的性悪説を完全に破砕し、学術的な複雑さを持つ人間学的理解へと通俗哲学を高めるその日までは。

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第二次世界大戦における、いわば「主戦場」として独ソ戦があったということ。日本などにおける犠牲者を数においてはるかに上回る犠牲の記憶が、少なくともロシアの人びとにとって、ロシアとヨーロッパのあいだに立ちはだかるものとしてあるということ。この意識との関係において、ナチスに対する戦勝国としての「国民の記憶」が形成されているということ。この「大祖国戦争」をめぐる一連の意識連関は、プーチンがウクライナ侵略を本格的に開始したことによって、あらためて世界に知られるようになった。つまり、戦争の記憶が、強力な指導者を求める政治的傾向や隣接国への軍事的警戒心を通過することによって、新たな戦争を、多くのロシアの人びとが肯定してしまう方向へと導いていったと言える。膨大な犠牲を払ってファシズムから世界を解放したという記憶が、新たなファシズムを自身に許可する。

ある頃より、ロシアではあらゆる政治的立場の国民が戦勝記念日のパレードに参加し、あるいは「大祖国戦争」を戦った自身の祖父母の写真をSNSでシェアするようになったという。このような記憶への動員が、政府による主導というよりも、草の根的に広がっていったものであるということは、アメリカや中国における同様の事例とともに、これから再び語られていくだろう記憶論に一定の見解を供給し続けるだろう。

しかし、それは戦争の記憶と呼ばれるものを反戦思想や平和主義が必要としなくなるということを意味しない。むしろ、なおいっそう必要とすることが、いずれ明らかになるだろう。そのとき記憶論は、特定の記憶(忘却)を求めるものではなく、いわば全的であり、なおかつ凝縮的でもあるような記憶の呼び起こし方に接近するはずである。何らかの記憶ではなく、すべてを想起するあの走馬灯の形式、人類史を総括する走馬灯のような全的想起が、〈危機〉のなかで要求される記憶の形式として、ありありと思い描かれるようになるだろう。

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