写真集紹介:奥山由之『Los Angeles / San Francisco』

夏が来ると、旅に出たくなる。旅先での新たな発見は、これまでの自分を僅かばかり変化させる。夏は刺激を求める季節なのだ。コロナ禍で旅行業界ではオンラインツアーなるものが活況を呈したが、自宅に居ながら経験できる旅といえば、写真集の右に出るものはない。

Written by はらやま

写真家が歩くアメリカ西海岸

夏が来ると、旅に出たくなる。燦燦と太陽光が降り注ぐなか、コーラ片手に海沿いを歩き、異国情緒溢れるローカルの雑貨屋でショッピング。テラス席でハンバーガーを頬張りながら眺めるサンセットは、なにものにも代えがたい至福のひと時である。そんなわれわれにとって、アメリカ西海岸――なかでもカリフォルニア州の2大都市ロサンゼルスとサンフランシスコ――は真っ先に候補に挙がる旅の目的地に違いない。ということで、今回紹介する「旅」をテーマにした写真集は、奥山由之の『Los Angeles / San Francisco』にしよう。

1991年生まれの奥山は、2011年に写真新世紀優秀賞を受賞したデビュー作『Girl』から一貫して、フィルムカメラで作品を撮影している。クライアントワークも多く、JRやdocomo、ロッテ、adidasといった日々の生活で目にする広告を手掛けてきた。奥山の名前は知らなくても、彼の作品を見たことがない人は少ないだろう。また、活躍する場は写真の枠にとどまらず、これまで米津玄師や星野源、サカナクションのミュージックビデオ、ポカリスエットのCMなどの映像作品でもディレクターとして手腕を発揮している。

『Los Angeles / San Francisco』は、ファッション誌『UNION Magazine』の出版社から、初の写真集プロジェクトとして2018年に発刊されたものである。さすがファッション誌の製作とあって、装丁が美しい。UNIONを踏襲したグレーのクロス装のカバーには、2枚の白黒写真が並ぶ。タイトルはシルバーの箔押しで、表紙には色彩がなく、モノトーンで統一されている。

もちろん、本文の写真はモノクロではなく、すべてカラーフィルムで撮られている(カバーの写真もカラーで登場する)。カリフォルニアの眩い光はカラーでこそ生きてくる。早朝から日が暮れるまで毎日12時間、ひたすら歩いてフィルムに収めたという対象物は、どれも瑞々しく輝いている。ページをめくるたびに、かの地を散策している気分を味わえる。ストリート、ショーウインドー、ビーチ、ダイナー。そこを訪れる者として、よそ者の視線で切り取られた一枚一枚の写真が、見る者を脳内旅行に誘う。だが、本作でより注目すべきは、内容ではなくその形式にある。

スマホがもたらした現代的感覚

本作の形式における第一の特徴として、縦位置の写真が圧倒的に多いことが挙げられる。人間の視覚は横長である。そのため、横位置の写真のほうが自然体として受容できる。左右の情報を切り詰める縦位置の写真は、撮影者の意図が強く前面に出る、というのが長らく一般的な認識だった。だが、スマートフォンの登場以来、縦型写真が圧倒的多数を占めるようになる。日常のあらゆるシーンがスマホで撮影され、旅先ではそれ以上に多数の写真が量産される。奥山はこの変化に重要なポイントを見出している。

スマホが登場して以降、世の中には縦の画像、映像が圧倒的に増えて、しかもそのほとんどがスナップもしくはドキュメントなんです。ということは、縦長で、広角レンズで、クリアな質感の映像を見たら、人はそれをドキュメンタリーだと思い込んでしまう無意識の意識が知らずうちに〔ママ:引用者〕植え付けられているんじゃないか、と思ったんです。

『SWITCH』SWITCH PUBLISHING 2019.Mar p35
【出典:奧山由之『Los Angeles / San Francisco』(Union Publishing Limited, 2018)】

これは2016年に制作されたバンドグループ never young beach「お別れの歌」のミュージックビデオ制作についてのインタビューで語ったことだが、この考えは『Los Angeles / San Francisco』でも反映されているといえる。意識的に縦画像が多用されることによって、スマホに慣れ親しんだわれわれは無意識的にリアリティを感じてしまう。写真に何が写っているかではなく、写真自体の形によって、受け取る方向性が――たとえ穏やかな強度だとしても――誘導されている。

記録性が担保するリアリティの感覚

第二の特徴は、それぞれの写真に緯度と経度で表された位置情報が記されていることである。これによって写真の記録性、ドキュメンテーションの要素が増強されている。写真は「たしかにそこにあった」過去の一瞬の光景を再現するメディアである。多くのひとは、何か特別なことがあったとき、それを後に残したいという記録への欲求でシャッターを押す。家族アルバムや修学旅行の写真が日付入りで撮られるのも、より具体的な記録を残したいという気持ちの表れである。デジタル時代になった現在、スマホで撮影した画像には時間の記録に加え、位置情報が埋め込まれるようになった。最近では、訪れた場所をスマホの位置情報によって記録しGoogle Mapで全行程をなぞることも可能である。写真や映像とともに、地図上である程度まで旅を反復できるのだ。

写真集に付された位置情報によって、われわれは奥山の足取りを追えるような感覚を得られる。そのドキュメンタリー的な感覚が一枚一枚の写真をより身近に感じさせる。抽象的なイメージとしての旅ではなく、具体的な場所性を帯びた地に足のついた旅を想起させるといってもよいだろう。余談だが、ここに記された位置情報はあまり精確なものとは言い難い。実際にGoogle Mapで検索しても、明らかにズレていると思われるものが多々あり、ストリートビューで追体験することは残念ながらできそうにない。

写真が想起させる時間感覚

注目すべき第三の特徴は、連続写真の多用である。ここでいう連続写真とは、同じ場所から同じ対象に向けて撮影されたものであり、1秒間に何枚もの写真を撮る「連写」というわけではない。数秒から十数秒の間隔で撮影されたであろうこれらの写真は、見る者に時間の連続性を感じさせる。言いかえれば、ある写真とそれに続く写真の「間」を無意識のうちに埋めようとする鑑賞者の能動性を作品が半ば強制的に引き出すのである。

【出典:同上】

いったん生じた「能動性」は、連続写真の中に留まらず、別の場所で撮られた写真の間にも作用しはじめる。決められた観光スポットを巡る目的的な旅行ではなく、「何か」に出会う可能性に心を躍らせ、さまよい歩く旅。『Los Angeles / San Francisco』は、点から点への移動ではなく、点と点の間を旅する経験を、紙上で提供してくれるのだ。写真集の冒頭に記された奥山の次の言葉は、二次的にその都市を経験するわれわれも、かなりの程度まで共感できるのではないか。

歩いて、歩いて、12時間。ほとんど地図を見ることはない。歩いているうちにその街の様相が、まるで脳内に染み込むように描かれていく感覚が好きだ。

『Los Angeles / San Francisco』

フィジカルを再認識するために

デジタルとは、「離散量(とびとびの値しかない量)」を意味する言葉である。デジタル化とは、白から黒へと続く無限のグレーの一つ一つに数値を割り当て、「間」をそぎ落としていく作業である。一方、現実世界には言葉で言い表せない無限のグレーが、人間が知覚できるか否かに関わらず、確かに存在する。デジタルの対義語は、「フィジカル(物理的なモノ)」である。

すでに述べたように、奧山はクライアントワークも含め、一貫してフィルムカメラを使用している。そんな奥山が写真についてたびたび口にするキーワードに「色気」がある。

写真の色気というのは(中略)人間の感情のうねりの中にある瞬間みたいなもので、何だかわからないけれども気になってしまう(中略)ことに気が付くものだと思うんです。点と点を繋ぐ線の部分と言うと抽象的ですけど、前後にも多数の点があることを想起させられるような“線の中の点”。受け手によってその写真の捉え方がいかようにも変わる表現としての余白。それが色気であり、(中略)その微妙な瞬間を凝視できるのが写真の面白さだと思っていて。

『SWITCH』前掲、p81

『Los Angeles / San Francisco』に掲載された大多数の写真は、いわゆる「決定的瞬間」を捉えたものではない。それぞれの写真は、その一秒前も一秒後も知覚される時間的幅を持っている。写真家の鍛え上げられたシャープな視線と、巧妙に作り上げられた三つの形式によって、われわれはリアリティを伴った旅を経験できる。点と点の「間」を贅沢に楽しめる豊潤な旅を。

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