男子テニスにおけるプレースタイルの変遷

個人種目であるテニスの魅力の一つは、多様なプレースタイルにある。その長い歴史の中で、プレースタイルはどのように変遷してきたのか。どのようなスタイルが時代を変えてきたのか。現代テニス史を紐解く、【テニス中級編】。

Written by ハマー

※本記事の画像は全てATP公式サイト(https://www.atptour.com/)より引用。

今回は、歴代の世界ランクNo.1から男子テニスのプレースタイルの変遷を辿っていこう。どのようにして今の男子テニスのスタイルが生まれてきたのか、この先どうなるのか。歴史が教えてくれることもあるかもしれない。

1970年後半~2000年前半-ボレー、ストローク交互覇権の時代―

男子プロテニスのプレースタイルの変遷を語るには、やはりこの男から始めるべきだろう。ビョルン・ボルグ、「現代テニスの父」と呼ばれる選手である。その所以は、トップスピンをテニスに取り入れたことにある。ボルグが活躍した1970年代以前は強度が高くないウッドラケットしかなく、強打はできずに球を面で捉えて押し出すように打ち、決定打はボレーというスタイルであった。そこに切り込んだのが、安定的で粘り強いグランドストロークを持つボルグだった。相手がネットプレーをしかけても、スピンによって足元に沈め、角度をつけられることが優位に働いた。彼の登場以降、カーボンラケットの開発もあり、トップスピンとグランドストロークは、広く男子テニスに普及していった。

ビョルン・ボルグ(スウェーデン)

成績:1977年8月シングルス1位、1979年7月から約2年間1位。全仏オープン4連覇(全6勝)、ウィンブルドン5連覇

スタイル:トップスピンのグランドストローカー

1980年代前半にトップに立ったのが、ボルグのライバルとしても有名なジョン・マッケンローだ。彼のスタイルは、左利き特有のスライスサーブからのボレーである。この時期はラケットの更なる進化(グラスファイバー等)により、サーブによるポイントも増えてきた。彼のプレーの基本はサーブ&ボレーだが、ライジングを用いたストロークも相手の時間を奪う十分な武器であった。これは、ライバルのボルグのトップスピンに対抗するため、ポジションを下げずに勝負できるよう研鑽した結果とも言えるだろう。

ジョン・マッケンロー(アメリカ)

成績:グランドスラム(以下GS)通算7勝、1983~1984年の約2年間シングルス1位。ダブルスも1位在位あり

スタイル:サーブ&ボレーヤー

1980年代後半は、イワン・レンドルが覇権を握る。レンドルのフォアによる重いトップスピンストロークは、威力だけでなくコントロールにも優れ、またバックにおいても当時の片手打ちでは珍しく強打を取り入れていった。しなやかなフォームと高いトスから繰り出されるサーブも強力で、エースも多かった。強力なサーブで主導権を握り、トップスピンを効かせたパッシングショットでボレーヤーを封じることで勝利を積み重ねていった。テニスが高速化していく80年代後半から90年代を象徴する選手と言えよう。一方でネットプレーは苦手であり、それはGSのうちウィンブルドンのみ優勝できなかったことにもよく表れている。

イワン・レンドル(チェコスロバキア→アメリカ)

成績:GS優勝8回、1985年9月から連続157週1位。1989年~1990年7月も連続1位

スタイル:グランドストローカー

1990年代は、再びサーブ&ボレー、あるいはボレーを得意とした選手が活躍した時代となる。その一人がステファン・エドバーグだ。端正なルックスとエレガントなフォームでファンを魅了したエドバーグは、どれだけパッシングで抜かれようとサーブ&ボレーのスタイルを貫いた選手であった。エースを狙うのではなく、相手を追い出し、自分はネットに詰める時間を生み出すスピン系のサーブから、鋭い角度のあるボレーを武器とした。また、華麗な片手バックハンドも得意だった。体を十分に捻って構えることでギリギリまで相手にコースを隠し、ストロークの主導権を握ってネットプレーに繋げたり、スライスアプローチでボレーに出たりなど、技術とファンを惹きつける魅力を備えていた。

ステファン・エドバーグ(スウェーデン)

成績:GS6勝、1990年8月にシングルス1位、1位在位記録72週。ダブルスも1位在位あり

スタイル:サーブ&ボレーヤー

そして1990年代中盤、ついにこの男が現れる。ピート・サンプラスである。史上最高のサーブ&ボレーヤーであるとともに、史上最高のオールラウンダーとの呼び声も高い選手だ。コースを読みにくいフォームから速くて強力なサーブで主導権を握り、ボレーは鋭くコートに突き刺すものや優しいタッチでネット際に落とすものなど、多彩でミスの少なさが特徴だった。また、ストロークにおいても攻撃的なフラットショットを得意としており、生粋のストローカーとも真正面から打ち勝つだけの能力を有していた。サーブとボレー以外の全てのショットでも高い得点力を有することが、オールラウンダーと言われる所以である。

ピート・サンプラス(アメリカ)

成績:GS14勝、1993年~1998年6年連続年末1位(歴代最多)。1位在位記録286週

スタイル:サーブ&ボレーヤー、オールラウンダー

サンプラスのライバルであるアンドレ・アガシは、1999年から2000年代初頭にかけてランキング1位を冠した。彼の特徴は、小さなテイクバックから強打できるリターン力にある。球にラケットの面を合わせる技術に優れているからこそ可能な技で、自らのリターンポジションを上げて相手にプレッシャーをかけてサーブの精度と確率を落としていった。ストロークではライジングを得意としており、相手の時間を奪い、緩急とスピン量を自在に操るストロークでポイントを重ねた。徐々にサーブが強力になってきた2000年前後にリターン力とストローク力で頭角を現した、アメリカ出身としては非常に珍しいスタイルの選手である。

アンドレ・アガシ(アメリカ)

成績:GS8勝、史上唯一の全GS優勝、ATPツアーファイナル優勝、オリンピック金メダル達成者。主に1999年9月から約1年間1位

スタイル:攻撃型リターナー、グランドストローカー

アガシ以降、ボレーを主軸としたランキング1位選手は現れず、男子テニス全体でもストロークでの勝負が主体となり、各選手のスタイルは細分化していったように思われる。その意味で、アガシの存在は男子テニススタイルの転換点になったと言える。突出したリターン力とストローク力で、それらの重要性を向上させたのである。

そのような中、レイトン・ヒューイットは2000年前半に台頭してきた守備型グランドストローカーだ。リターン力、コートカバー力、粘り強さとメンタルの強さに秀でている。柔軟な股関節と脚力によりボールへの反応とフットワークが速く、厳しいボールにもしっかりと返球できる。世界屈指のリターン力からストロークに持ち込み、パッシングとトップスピンロブも非常に優れている。勝負どころでポイント時に叫ぶ「Come on」は、現在多くの選手が行っている先駆けだろうか。

レイトン・ヒューイット(オーストラリア)

成績:GS2勝、史上最年少世界ランキング1位(20歳8か月)。2001年、2002年年間ランキング1位。1位在位80週

スタイル:守備型グランドストローカー

2000年中盤以降-ストローク主体時代へ-

2000年代中盤、ある1人の選手の台頭が男子テニス界全体のレベルを引き上げたと言っても過言ではないかもしれない。

2000年代中盤に男子テニス界を支配したロジャー・フェデラーは攻撃型ストローカーであるが、同時にサンプラスと並んで史上最高のオールラウンダーでもある。球種とコースの読みにくいサーブ、強力なフォアハンドは、一貫して変わらない彼の武器である。リターンではスライスを使って返し、相手がボールを持ち上げたところを攻撃してポイントを奪うことを得意としていた。大きく目立った弱点がなく、片手バックハンドでは同じスライスでも多彩なスピンを駆使した守備、浅い球の誘い出しからのパッシングに加え、アングルショットやダウンザラインによって自分から攻撃に転じることもできる。ボレーも非常に技術が高く、突出した武器の一つだった。フットワークはヒューイットほど速くはないものの、効率的で無駄のない動きでコートカバー力にも秀でている。ヒューイットの守備型テニスを、その圧倒的な攻撃力により上回って世界の頂点へと登りつめた形となった。

ロジャー・フェデラー(スイス)

成績:GS20勝、世界ランキング連続1位237週(歴代最長)

スタイル:オールラウンダー

フェデラーの台頭は、その後の男子テニス界No.1争いのあり方に大きな影響を与えたと言える。一つは、テニスの内容、特にストローク戦において大きな弱点を許さないという点だ。サーブ、フォア、バック、ボレー、ドロップショット、全ての技術で得点を奪えるフェデラーは、これまでの選手以上に容易に相手の弱点を突くこともできてしまう。そんな彼と対等に渡り合い、打ち負かすには大きな弱点を抱えていては不可能であった。必然的に、彼との1位争いには、オールラウンダーとはいかないまでも、少なくともストロークにおいては、全ての技術でトップレベルが要求されることになる。

もう一つは、バックハンドの強化を挙げられる。フェデラーの最も得意とするパターンは、ミドルからバック寄りのボールを回り込んでフォアでクロス(右利き相手のバック側)に叩きつけるインサイドアウトのショットである。これに対抗するためには、バックハンドの強化が必要であった。実際に、左利きの強烈なトップスピンでフェデラーの唯一の弱点であるバックの高い打点を攻撃し続けられるナダルを除いて、ジョコビッチとマレーは共にスタイルは微妙に違うものの、バックをより一層強化することで世界ランク1位を獲得してきた。ナダルに対抗するために、フェデラー自身も含めて特にバックのダウンザラインの技術が重要になった。これらは、男子テニス史上最高の時代を築いたBIG4時代の要素の一つであることは間違いないだろう。

参考:歴代GS優勝数順位と現役期間

選手名GS優勝数現役期間
ラファエル・ナダル222001年~
ノバク・ジョコビッチ212003年~
ロジャー・フェデラー201998年~2022年
ピート・サンプラス141988年~2003年
ロイ・エマーソン121953年~1983年
ロッド・レーバー111956年~1978年
ビョルン・ボルグ111972年~1983年

上記の表からは、ナダル、ジョコビッチ、フェデラーが同時代にプレーする現在が、いかに男子テニス史上最高の時代であるかがわかる。

また、このバックハンドの重要性の高まりは、トップ争いのみならず、現在の男子テニス全体の傾向であると言えよう。フォアが強いことは当たり前。それに加えてバックでも左右に打ち分けられ、ストロークの優位をとれなければ、大きな大会で上へ勝ち進むことは難しくなっている。

以上に見てきたように、歴代男子テニストップのプレースタイルの変遷は、2000年まではサーブ&ボレーヤーとグラウンドストローカーが交互に覇権を握っており、2000年以降はグラウンドストローカーが主流となっている。そこには道具であるラケット技術の進歩と、何よりその時々のトップ選手への対抗のために選手自身が技術を進歩させてきた軌跡があると言えるだろう。 現在、バックを含めたストロークが主体になっているスタイルが、今後どのように変化していくのか。フェデラー、ナダル、ジョコビッチは、加齢による体力的衰えへの対策としてサーブとボレー技術を向上させてきており、ボレーが再注目される潮流も出てきている。男子テニス界がこの先どのようなプレースタイルになっていくか、個々の試合に一喜一憂するのではなく、テニス界全体のプレースタイルというマクロ的な視点を持つこともテニスを楽しむ一つとしておススメである。

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