テイクオフ(ミーゴス)追悼

ラップグループ・ミーゴス(Migos)のラッパー、テイクオフ(Takeoff)が、11月1日未明に射殺された。この事件を受けて、急遽、日々ヒップホップを聴いて過ごしてきた3名のライターが、テイクオフに捧げる追悼小論を書いた。銃撃の繰り返されるヒップホップ業界と銃社会アメリカの関係から〈暴力〉を考え始めるために。

Written by 東亜茶顔、祖父江隆文、イサク

11月1日、ミーゴスのラッパー・テイクオフが射殺されました。以下では、ヒップホップを聴いてきた本サイトライター3名それぞれによる追悼小論を掲載します。

【ミーゴスのメンバー、テイクオフ(Takeoff);Wikipediaより。】

そこにミーゴスはもういない

Written by 東亜茶顔

“Bad & Boujee”は衝撃的だった。同時期に聴いていたRae Sremmurdの“Black Beatles”は、まだ自分の理解の範疇にあった。だが、ミーゴスは自分にとって初めて見る試みをやっていた。Futureとも違う、パーカッシブに三連符が続くフローの軽妙さ、適度に入るガヤ、わちゃわちゃとした兄ちゃんたちがやおらかましたあれが、自分のトラップのイメージを決定づけた気がする。

とてつもないハードワークを続けているグループだった。個々の客演仕事も多く、2010年代に聴いたアルバムには必ず彼らの誰かが顔を出しているような錯覚に陥った。かといって、Tygaの“Taste feat. Offset”以外は殊更ハマるでもなく、スルーしていた気はする。

だが、あまりに巷に溢れたからか、好みやトラップの隆盛とは関係なく、いつも何となくシーンのトップで景気良くやってる兄ちゃんたち、と親しみすら感じていた。OffsetとCardi B、QuavoとSaweetie、あれTakeoffは?!というセレブリティ生活のノリすらもまるで漫画のようだった。スーパースターながらどこかいなたさのあるキャラクターが、今となっては得難く思える。

いつもいた人たちが突然いなくなることに、動揺させられずにはいられない。ましてや暴力によって奪われ失われたとなれば、なおさらだ。夜の歌舞伎町そばを歩いている時に知ったニュース、ユニカビジョンにはクエルボのCMが流れていた。いつもの夜からtakeoffしてしまったものが何だったのか、整理がつかないまま思わず酒を飲んでいたら、深夜3時になっていた。そこで思っていたよりもショックだったことに気がついた。ヒップホップにつきものかのように、毎年ラッパーが死ぬ。それは感傷的なものではなく、構造的に内包された暴力が今なお、より深刻に発露し続けているからだ。そこからヒップホップが生まれると言う人もいるだろうし、間違いだとは思わない。が、それははたして善いことなのだろうか。ラッパーが暴力によって死ぬたびに、考えずにはいられない。

別のCultureの方へ

Written by 祖父江隆文

彼らからCultureを感じたのは、実は今の自分にとっては『Culture III』収録の“Vaccine”からかもしれない。例えば“Stir Fry”や“China Town”でアジアへの接近を試みる彼らが、コロナ禍の状況でもやれるのだと言う姿は、「別のCulture」の圏域を欲しながらも、そこから自らを「隔離」せざるを得なかった自分に響くのであった。

アジアへの接近とは言っても、彼らがそれを深く表現しているわけではない。例えば、“Stir Fry”のMVに登場する飯店で彼らが囲っている雀卓や作られる料理、カンフー映画風のアクションといったものに強い意味はないし、“China Town”ではただ中華街をうろついたりするだけだったりする。

しかし、そういったものが小気味良いトラップビートに乗ることで引き出される「軽やかさ」もまた「隔離中」の僕には魅力的だったし、そんな「軽やかさ」でCultureを築いてきた彼らが歌うからこそ、隔離されてもやれると言う“Vaccine”からは、独特のメッセージ性を感じるのだ。

しかし、そんな彼らも(僕らから見た)「別のCulture」の過酷な現実に再び引き込まれた。無念だ。R.I.P.

一歩ごとの想起

Written by イサク

ひさしぶりに最低の気分だ。いや、ひさしぶりでもないか…。数ヶ月に一度はこんな気分になる。今度射殺されてしまったのはテイクオフ。ボーリング場でパーティーをしていたところ、何か口論になって撃たれたらしい。情報を集めようと開いたYouTubeで、つい見てしまった射殺直後の現場の動画。こういう動画を開いてしまった自身に少し不謹慎な感じを抱く。あっという間に動画がネットにあがる時代だ。XXXテンタシオンが殺されたときも、銃撃直後の動画があがって話題になったらしい(その動画は見ていない)。動画のなか、目の前で頭から血を流して倒れるテイクオフを前にする、ともにミーゴスとして活動してきた叔父クエイヴォの慟哭が耳から離れない。

いつもより大股に道を歩き、一歩一歩ごとに射殺されたラッパーたちの顔を浮かべてみる。XXXテンタシオンは、4年前にバイク屋を出たところを銃撃された。犯人の目的は強盗だった。まだ20歳だ。ヤング・ドルフが射殺されたのは36歳のとき。行きつけのクッキー屋で、だった。それからまだ1年も経っていない。ニプシー・ハッスルが、道端で殺されてからは3年が経ったようだ。あぁもう3年か。D12のプルーフが頭を撃たれて死んだ2006年は、僕はまだ高校生だった。そのニュースを見たときに、たまたまD12を聴いていたことを覚えている。ビリヤードをしていて口論になったのだとか。ほかにもたくさんのラッパーが死んだ。2パック…ビギー…あんたらの死からシーンは何かを学べたと思うかい?

しかし、口論…。口論が起こることはある。人と人の付き合いだ。他人に激昂してしまうことだってあるさ。でももしその場で銃を持っていなかったら、少なくとも射殺は起きない。銃がなくても、激昂の結果として殺人が起こることはある。しかし、トリガーを引くほど簡単には人は殺せない。「銃が悪いのではなく、それを悪用する人が悪い」という論理を吐く奴らもいるが、それは事態をよく捉えた言葉とはいえない。銃が殺人を容易にする。銃が人の気持ちを膨らませる。人間が道具を使うのではなく、道具が人間を使うという側面もあることを人文学は教えている。

数年ほど前になるか、最新のヒップホップを追うことをパッタリとやめてしまった時期があった。理由はいくつかある。しかし、そのような時期でもミーゴスは例外的に聴いていた。世界総トラップ化みたいな雰囲気からは距離をとっていたが、ミーゴスほかいくらかは例外的に好んでいた。

本サイトにおける去年のヒップホップ・シングル・ベスト10には『Culture Ⅲ』の冒頭一曲目に置かれた“Avalanche”が入っているが、この曲を推したのは僕だった。まさに雪崩のように始まるおしゃべり三連符、イントロなしのかけあいラップには、ミーゴスの楽しさが詰まっているような気がした。今年10月にクエイヴォとテイクオフ両名で出した新作『Only Built For Infinity Links』もなかなかに良かった。

あの楽しさを心から享受できる日が、いつになったらファンたちに訪れるだろうか。いつになったらクエイヴォとオフセットは、また楽しく歌える日を迎えることができるだろうか。ありきたりで手垢に塗れているけど、やはりそんなことを考えてしまう。これまで、楽しむことを家族や自身の命ごと奪われた人たちがたくさんいた。これからもいるだろう。そのことが、「いつになったら」という言い方を手垢に塗れたものにさせている。

今年は、銃乱射事件が繰り返されている年でもある。テキサス州で自身の祖母を撃ったのち、小学校に行って児童19人と教師2人を殺した男は、まだ18歳だった。彼は合法的にライフル2丁を手に入れている。テキサスでは、お酒は21歳からでも、銃は18歳から買えるのだ。

この乱射事件の10日前には、ニューヨーク州バッファローのスーパーで銃乱射があった。アフリカ系が多く住むエリアだ。容疑者は、あのひろゆき氏が管理する4chanで「真実」(と彼らが信じるところの極右的陰謀論)を知り、非白人を殺すために行動に出たと述べている。この事件を受けて、かつては全米ライフル協会(NRA)の支持者であったにもかかわらず、今後はいくらかの銃規制には賛成すると、真摯にも自身の意見を述べたニューヨーク州の共和党議員は、共和党からの2期目の再選を諦めることになったらしい。もちろん、裏ではNRAによる党への圧力があっただろう。この手のことは別にアメリカに限った話ではない。

こういうクソみたいな世界に対して、中指を立てる作法を教えてくれるのが、ヒップホップであるはずだ。たとえ暴力表現を娯楽として享受していたとしても、暴力そのものを社会や世界の構造ごと受け入れる必要はない。

テイクオフよ、どうか安らかに。

ミーゴスの2人、家族、仲間たちに祈りを。

そして、このような事件が起こりがたい世界のために何が必要かを考える義務は、自分たちに。

さもなければ、僕らはこれからも繰り返し弔意と祈りを示すハメになる。


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