コロナ禍であらゆるシーンにリモートが浸透した現在、あらためて対人関係の重要さや問題点が話題になっている。人間関係のもっとも基礎となる「自己と他者」について、自らの生をかけて探求した写真家がいた。『SELF AND OTHERS(自己と他者)』と題された一冊の写真集を前に、私たちは何を感じることができるのか。
Written by はらやま
様々なタイプの体験
ある種の写真に強く惹きつけられる。被写体となる人物に向き合い、互いの存在が相互に影響を与え合う場において生成される写真。そうして出来上がった作品に魅了され、その撮影者としての写真家に興味を持つ。だが、その魅了のされ方は様々である。
ひとつめは、被写体から滲み出る強力な個性に、ひと目見た瞬間から釘付けになるタイプ。真っ先に思い浮かぶのはダイアン・アーバスだ。1960年代後半から70年代にかけ、いわゆるフリークスを撮影したポートレートは、強烈なイメージを瞬間的に脳裏に焼き付ける。次に、時間の流れの中で形作られる親密な関係とその変化を写したタイプ。異国の地で妻・クリスティーネを撮り続けた『Memoires』の古屋誠一は、自分の中ではこのカテゴリーの代表格であり、その物語は繰り返し読むことで、じわじわと脳内に染み渡る。
瞬時にこころを鷲掴みにされるような高揚をもたらす第一のタイプの体験と違い、この第二のタイプの体験は自分の中で理解するのに時間がかかる。何度も反芻し咀嚼することで、なぜ魅了されているのかが少しずつわかってくる。だが、世の中にはより厄介な第三のタイプがある。まるでトリックアートの螺旋階段のように、理解が進まないのだ。進んだと思っていたら振出しに戻ってしまう。同じ場所をぐるぐると回っている感覚。固定化されることを拒み続けている何かを追い駆け回している感覚。決して経験し得ない「他者の経験」を、写真を媒介に手に入れようとして、途方に暮れるような感覚。それこそが、今回紹介する牛腸茂雄(ごちょうしげお)の『SELF AND OTHERS』(1977)である。
再評価の機運高まる早世の写真家
10月から約1か月間にわたり渋谷PARCOで開催された写真展「はじめての、牛腸茂雄。」や、同じく10月末にNHK「日曜美術館」で放送された「友よ 写真よ 写真家 牛腸茂雄との日々」で彼の作品を目にした方も多いかもしれない。11月には、生前に発表した全作品を掲載した『牛腸茂雄全集(作品編)』が発売された。没後40年となる2023年には『牛腸茂雄全集(資料編)』も出版予定である。死後の80年代末に始まった牛腸作品に対する再評価の流れは、現代においてますます加速している。
牛腸は1946年に新潟県で金物屋を営む両親の次男として生まれた。3歳で胸椎カリエスを患い、その影響で身体にハンディキャップを背負う。医師から「二十歳までは生きられない」と言われていたが、高校を卒業するとグラフィックデザインを学ぶためにひとり上京し、桑沢デザイン研究所に入学する。そこで写真の教師をしていた大辻清司に勧められ、写真の道に進むことになる。『SELF AND OTHERS』の序文で大辻は、次のように述べている。
写真はつねに現場仕事である。スタジオ作業にしても、人並み以上の体力は必要である。その辺の配慮をぼくは全く欠いていた。事実、彼は職業写真家として生活してゆくには、極めて限定された仕事しか出来ないだろう。(中略)だから彼にとって写真は、はじめから暮しの手段などではなく、彼が生きてゆくことの直接の反映物として位置づいていたのである。
『SELF AND OTHERS』
「生の反映物」として作家活動に取り組んだ牛腸は、自費出版で生前に3冊の写真集を発表している。桑沢で同級生だった関口正夫との共作『日々』(1971)、友人や知人、家族を中心にモノクロームで人物を写した『SELF AND OTHERS』、街中でカラー・ポジフィルムを使用したスナップ写真からなる『見慣れた街の中で』(1981)。この他に、画集『扉をあけると』を1980年に刊行するなど精力的に活動した。そんな牛腸作品の中で最も知られているのが、二作目の『SELF AND OTHERS』である。牛腸が愛読していたイギリスの精神科医R.D.レインの同名の書籍から取られたタイトルのとおり、掲載された60点の写真は2点の例外を除きすべて他者=人物が写っている。そして、そのほとんどの被写体はじっとこちらを向いており、撮影者である牛腸=自己との関係を意識した構図となっている。例外は牛腸の幼い頃の家族写真とセルフポートレートである。
コンポラ写真の代表的存在
作品を見ていく前に、日本写真史における牛腸の評価を確認しておこう。日本における「コンポラ写真」の代表的な作家というのが、まずは彼の一般的な評価となっている。「コンポラ写真」とは、何気ない日常を、構図や技巧に凝らずに、誇張や強調なしに撮影した写真を一般的に指し示し、日本で1970年頃に盛り上がりをみせた。60年代以前に主流であった既存のフォトジャーナリズム的写真――雑誌『LIFE』に代表されるような、数枚の象徴的な写真によってある特定の物語を紡ぐことを目的とするもの――に対するアンチテーゼとしての写真である。
日本のコンポラ写真家たちに影響を与えたひとつとして、67年にニューヨーク近代美術館で開催された「ニュー・ドキュメンツ」展があるが、その紹介文で述べられていることは「コンポラ写真」の方向性を理解するうえでわかりやすい。
(ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドといった)新たな世代の写真家たちは、ドキュメンタリー写真の技巧と美学を、より個人的な目的へ向けなおした。彼らの目標は、生を改良するのではなくそれを知ることであり、説き伏せる(persuade)のではなく理解する(understand)ことである。
John Szarkowski; New Documents: MOMA(1967) 「Press release」より 筆者訳
そんな「コンポラ写真」の代表的存在である牛腸にとって、「生を知ること/理解すること」はどういうことだったのか。この問いへ真摯に向き合い、ひとつの形にしたものが『SELF AND OTHERS』であった。
見つめ返される視線に晒されて
本編を開くまでもなく明らかだが、『SELF AND OTHERS』は、作者の「自分自身と他者の存在」への関心から構想されたものである。牛腸については、全集(資料編)が出版予定というだけあって、かなりの資料が残されている。また、写真評論家・飯沢耕太郎らの調査によって制作過程のノートや被写体についても多くのことがわかっている。作品背景の情報が入手可能なのは有難い限りだが、そういった予備知識なしにページをめくるのも写真集の醍醐味のひとつなので、ここでは背景情報には深く触れずに進めたい。
1枚目の写真は、生まれたばかりの赤ん坊の姿である。開放気味のフォーカスで捉えた柔らかな光が泣きじゃくる新生児をやさしく包み込んでいる。丘から駆け下りてくる少女、こわばった顔でこちらを見つめる双子の2枚が見開きで続く。その後も1ページに1枚ずつ、同じサイズ、同じレイアウトで続き、画面中央に配置された人びとは撮り手の存在に呼応するようにこちらへ視線を投げ返してくる。子供、カップル、青年といった被写体と牛腸の関係性を感じ取りながら、撮影者の憧憬の眼差しや、両者の間の異質な緊張感、また時には悲しいほどの距離を感じつつも、小気味良いリズムでページをめくる。
ちょうど折り返し地点となる30枚目の写真が目に入るや否や、鈍い衝撃が頭を打つ。初老女性の顔が画面いっぱいにクローズアップで映し出される。これまでの写真とは明らかに異なるっているのだ。後方が完全にボケているため背景情報もない。唯一の情報である顔は、幾重もの感情が入り混じったような言葉で定義できない表情をしており、この写真の違和感だけが際立つ。絶対的な存在感であり、いわば距離がない。見開きの右ページには元に戻ったかのような、被写体との距離を感じさせる初老男性の写真が配置されている。その後も、画面中心に置かれた被写体を余白を持って撮影された写真が選ばれていることを思えば、あまりにもこの一枚の写真は異様である。
見開きに配置された最後の写真は、牛腸が6歳のときの家族写真とセルフポートレートである。この2枚だけは、写真にキャプションが付されている。そして、全集(作品編)の表紙にも採用された、子どもたちが走り去っていく写真で締めくくられ、右ページには短い引用文が添えられる。それは、日常生活における人びと役割概念について研究した社会学者E.ゴフマンの一文を、R.D.レインが『経験の政治学』内で引用した箇所であった。
ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、人がそこに身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる。
―Erving Goffman; Encounters: Two Studies in the Sociology of Interaction
『経験の政治学』R.D.レイン みすず書房より
他者の行為と自己の経験
私たちはみな異なる生を生きているのだから、他者の経験それ自体を経験することはできない。他者の行動を通じて、私たちは他者を経験するのである。R.D.レインによる『経験の政治学』の主題のひとつは、この「経験」と「行動」の考察である。レインの主張は次の通りである。
他者の行動は私の経験になり、私の行動は他者の経験になる。「他者についての私の経験」という言葉は、「私が他者を経験するとおりの他者」と言い換えられる。この時、お互いに影響を与えつつお互いが経験し合っている。ということは、私は他者を「経験しつつある存在」としての他者として経験し、同時に私は私自身を他者によって経験されているものとして経験する。
幼いころから身体的なハンディキャップを背負って生きてきた牛腸にとって、自己を「他者によって経験されているものとして経験する」という感覚は特別に強いものであったことは想像に難くない。自分自身を見つめる他者の視線や行動によって、否応なく自分自身が何ものである(と他者に思われている)かを意識させられる場面は多かったであろう。『SELF AND OTHERS』の写真は、牛腸と相対する他者が、今まさに牛腸を経験しつつある存在として表出させた表情、仕草、行動を、牛腸自身の経験の仕方によって捉えられた瞬間の提示であるといえるだろう。
他者の経験の否定
では、唯一クローズアップで撮影された強烈な違和感を抱かせる女性の写真はどう解釈できるだろうか。牛腸が作品に引用した先の文章は、『経験の政治学』内の「経験の否定」という項目の冒頭でレインが引用しているものである。経験は決して自己の中=内から生まれるのではない。経験は他者ないしは他物=外との関係の中にある。経験にもとづいた行動も同様である。つまり、ひとが何かを経験するプロセスには必然的に政治性が含まれることになる。そこでは、他者の経験を否定する政治的力学が働くことも珍しくない。
もしジャックが何ごとかをうまい具合に忘れてしまったとしても、ジルがそれをジャックに思い出させようとしつづけるかぎり、忘れたことは無意味になります。彼はジルがそんなことをしないようになる手段を講ずるにちがいありません。そのために一番安全な方法は、ジルにそのことを触れないようさせることではなくて、そんなことをジルも忘れてしまうようにさせることです。
『経験の政治学』R.D.レイン みすず書房(1973)
ジャックは、ジルの経験を否定しようとするのである。私たちの経験は、他者、家族、社会秩序などの外部から不断の歪曲をうけることになる。そして、それらの多くは「愛」の名において行われる。「おまえは○○な人だ」、「良い人だから○○はしないに決まっている」、「○○をするなんて本当のおまえではない」。こうした外部からの属性付与によって、自身の経験のあり方が方向づけられる。
また、レインは『自己と他者』で次のようにも語っている。
人間は他人がこうであるとみなしているところのもので必ずしもないということを悟るのは、一大偉業というべきである。自己アイデンティティ、対自存在、ならびに対他存在の間の不一致についてのそのような意識は、苦痛に充ちている。自分が自分に対する属性付与が、自己について他者によってなされる属性付与と乖離している場合、特に他者による属性付与が命令として受け取られる場合、罪や不安や怒りや疑惑を感じるという強い傾向が存在する。
『自己と他者』R.D.レイン みすず書房(1975)
自分が、他者がみなしている自分ではないと気づくには、距離が必要である。そして、自分がどのように他者に経験されているかを知り自分のアイデンティティを統合していくには、適切に距離を取った眼が必要になる。
その距離がうまく取れなくなった時に、人は自己矛盾を感じ、時として精神を病む。『SELF AND OTHERS』に登場するクローズアップの一枚の写真。それは、唯一適切な距離を持って見ることできなかった人物として提示される。あまりに近く、あまりに内面化されすぎた存在。何かを経験しようとする際に、その経験に先立って現れるような、そこから逃れられないもの。ちょうど半分読み進めたところで出てくるこの一枚の写真は、牛腸の経験を経験しているような錯覚を覚えはじめる私たち読み手へのひとつの忠告に思えてならない。あなたの他者の経験の仕方は、他者の経験を潰そうとはしていないか、と。