天使は三度描かれる

危機の時代を生きた思想家ヴァルター・ベンヤミン。彼の伝記、『ベンヤミンの生涯』(野村修著)を取り上げる本記事は、ある一人の男の生についてまわった天使に目を向けることを促す。危機が深まる時代にどのような生き方がありえるかを考えるための、最良の機会がそこにあるからだ。

Written by 黒岩 漠

辞書と批評

伝記を書くということには、特有の困難がついてまわる。誰の伝記であるかによっても左右されるが、一人の生の痕跡を前にして、その者をめぐる可能なかぎりのあらゆる資料をただ網羅的に書き連ねるか、それともそのような網羅性はあらかじめ断念し、別の方法を模索するか――書き手はいくつもの決断を迫られる。前者の方法によって生まれる伝記は、特定の人物について編まれた、いわば辞書のようなものである。その場合、何よりも作品の価値を決定するのは、執拗な調査、書くために捧げられた調査の量的な蓄積であって、それが優れたものであれば、そのような辞書は、その人物の伝記における「決定版」という冠を戴くこともできるかもしれない。

それに対して後者、すなわち網羅的であることとは別の方法を選択する場合、「決定版」などという称号を決してねだってはいけない。仮に、辞書的伝記と同程度以上の調査をしたとしても、である。そこで対象の人生は、いかなる意味でも決定的なものとして表現されない。そのようなものは欲されてすらいない。代わりに書き手は、まず対象の生の痕跡のなかから、それを物語る際に生成核となるような形象や性質を取り出す。そしてそれを中心に緻密な〈構成〉を考える。〈構成的〉であること、これこそが網羅的であることに代わるもう一つの方法なのである。野村修『ベンヤミンの生涯』(平凡社ライブラリー、1993年;初版1977年)は、まさにそのような意味で〈構成的〉な作品、言い換えると批評的伝記であった。そしてまさにそうであるがゆえに、すでに半世紀を過ぎ、野村の読解を批判する研究も出されているにもかかわらず、それを魅力のあるものにしているのだ(以下、『ベンヤミンの生涯』からの引用は頁番号だけを記す)。

【野村は、晶文社から出ていたヴァルター・ベンヤミンの邦訳著作集の編訳者として知られている。その仕事は、どこかで誰かも書いていたが、すでに新訳・新解釈が出ている現在でも、相対的にアクチュアルで要約的な構成であり続けている。】

はかないアクチュアリティー

野村は、ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940年)の生涯を描くにあたって、彼の人生に三度登場する天使のイメージを物語の核として選ぶ。これらの全ては、ベンヤミンお気に入りの絵画作品、パウル・クレーの「新しい天使(Angelus novus)」をモティーフに生まれ出てきたものだ。ベンヤミンは、1921年にこの小品を手に入れて以降、ナチスに追い詰められた先で自殺するまで、常に脇に持ち歩き、人生をともにしたのだった。

【出典:パウル・クレー「新しい天使」(1920年)、イスラエル博物館所蔵。】

ベンヤミンが「新しい天使」をもとに、人生のなかで三度描いた天使のイメージ――それは1921年、1933年、1940年のことであり、そのそれぞれが、ベンヤミンの生における何らかの〈危機〉に対応している、と野村は指摘する。〈危機〉が、ベンヤミンに天使を必要とさせたのである。この天使と〈危機〉の関係を核にしたことで、ベンヤミンの伝記は固有の輝きをまとうことになった。この伝記作者は、かつてハンナ・アーレントが論じたような「文人(homme de lettre)」としてのベンヤミン、すなわち彼の実際に生きた20世紀前半ではなく、それよりはるか過去からやってきたような、いまや消滅しようとしているタイプの人間としてのベンヤミンではなく、むしろ「ぼくらのひとつの先行的なモデル」(21)として、彼の生を描くのである。

1921年、28歳であったベンヤミンは、友人ゲルハルト・ショーレムをミュンヘンに訪ねた際に、この天使と出会った。あまり高価ではなかっただろうと予測されるクレーの「新しい天使」を飛びつくように購入した彼は、早速この作品をもとにした天使のイメージを膨らませる。それは、この頃に計画されていた、ベンヤミンが編集する新たな雑誌の予告文のなかに出てくる。その雑誌の名は、まさに『新しい天使(アンゲルス・ノーヴス)』という。野村訳で全文を引用しよう。

この雑誌はみずからのはかなさを最初から自覚している。というのも、真のアクチュアリティーを手にいれようとする以上、はかなさは当然の、正当な報いなのだから。じじつ、そればかりか、タルムードの伝えるところによるならば、天使は――毎瞬に新しく無数のむれをなして――創出され、神のまえで讃歌をうたいおえると、存在をやめて無のなかへ溶けこんでゆく。そのようなアクチュアリティーこそが唯一の真実なものなのであり、この雑誌がそれをおびていることを、その名が意味して欲しいと思う

ベンヤミン「雑誌『新しい天使』の予告」、『ベンヤミンの生涯』11。

第一次世界大戦の敗戦とドイツ革命の敗北。変転する時代のなかで、物書きとしてアクチュアルな仕事を始めたいと考えていたベンヤミンは、この雑誌企画をまさにその場にしようとしていた。天使は、まず、ベンヤミンによって時代の〈危機〉に応える試みとして構想される、無名の雑誌そのものとして現れた。それは、タルムード(ユダヤ人に伝わる伝承集)のなかにある、神の前に現れるそばから消えてゆく天使である。つまり、ベンヤミンは、自らの雑誌は真にアクチュアルなものであるべきであり、真のアクチュアリティーを持つものは「はかなく」消えていくものだと考えていたのだ。

手垢にまみれた言葉、紋切り型の思考、レッテル貼り、定番の結論――こういった、ジャーナリズムによるくだらないアクチュアリティーでは駄目だ。そうではなく、「真にアクチュアルなものを、危険視されているもののなかにすら発見し、掘りおこすこと、別のときのかれのことばでいいかえれば、『真理がそのつどもっとも濃密に現前している』対象を発見することを、可能にさせるものは、ほかでもなく、批評の働きである」(70-71)と、野村はまとめている。もしかすると、そのような批評性のために、それを求めた雑誌――いや、サイトや組織でも同じだ――は、生を得るのではないか? つまりは自らのはかない死をも。しかし、この雑誌企画は、結局刊行されて生を得ることのないままに頓挫してしまう。これは、ベンヤミンの生に何度も見られる〈挫折〉の一つである。

未来へと後退する

クレーの絵をもとに、ベンヤミンが二度目に天使のイメージを描いた年――1933年。ユダヤ系であった彼にとって、この年が持つ意味は決定的であった。すなわち、アドルフ・ヒトラーが首相に任じられ、また全権委任法の成立によりナチスによる一党独裁体制が確立された年である。ベンヤミンは、もう二度と故郷ベルリンに帰ることはできないかもしれないという予感を抱きつつ、パリ、ついでスペイン領イビサ島へと亡命する。その年にイビサ島で書かれた文章には、「アゲシラウス・サンタンデル(Agesilaus Santander)」という不思議な題名が付けられた。ベンヤミンが誕生した際に、両親から与えられた「秘密の名」がそれである(というフィクションだ)。その名が「サタンの天使(der Angelus Satanas)」のアナグラムであることを、友人のショーレムは見逃さなかった。天使が再び現れる。

天使はしかし、ぼくが別れてこざるをえなかったすべてのものに、人間たち、とりわけ物たちに、似かよってゆく。僕の手にもはやない物たちのなかに、かれは住まう。かれは物たちを透明にする。するとあらゆる物の背後からぼくには、それをぼくが贈りたいひとの姿が、見えてくるのだ。だから贈ることにかけては、ぼくは誰にもひけをとるはずがない。そう、ひょっとしたら天使は、何ひとつ手許に残さず贈りものにしてしまう男に、誘い寄せられてきたのかもしれぬ。なぜならかれ自身は、鉤爪をもちするどい刃のような翼をもちながらも、見られた相手に襲いかかるようなそぶりは、まったく見せないのだから。かれはその相手を吸いこむように見つめる――長いあいだ。そしてそのあと断続的に、しかし容赦なく、後退する。なぜか? 相手を引きずってゆくために。じぶんがやってきた道、未来へのあの道を辿って

ベンヤミン「アゲシラウス・サンタンデル」第二稿、同上14-15。

ベンヤミンが書いた二つ目の天使のイメージは、最初に21年の天使と同様、生成しては消滅するはかない存在として書かれるが、ここで次第に新たな相貌を見せ始めている。亡命によって別れざるをえなかった人間や物たち。そこには亡命の問題とは別に、別れざるをえなかった、彼の愛した三人の女性たちとの関係の終焉も影を差している。政治的・経済的〈危機〉に加え、それらの愛の経験を終えて、人生を生き終えたという感覚を抱いていたベンヤミンは、この頃、自殺をするという選択を真剣に考えていた。そのためであろうか、彼の美しい文章には、第一の天使が持っていたような、社会に直接的に介入しようというアクチュアリティーはもうない。個々の事物を「ぼくが贈りたいひとの姿」を見せる天使――この箇所は、すでに彼が前年に書いていた、自らのあらゆる蔵書や所持品を誰が受け取るべきかを指定している細かな遺言を想起させる。

ベンヤミンは、結局、この年に自殺することはなかったが、それから何年か経った1940年、ナチスから逃れる途上、ピレネーの山脈をスペインに向けて超えたところにあるポルボウという町で自殺する。それ以前に、彼は、三度目の天使のイメージを書いている。それが後世に彼の文章として最も知られるところとなる、「歴史の概念について」のなかの「歴史の天使」である。破局のなかで、後退しながら未来へと向かう天使というイメージは、そこで個人の領域から歴史の文脈のなかへと明確に位置づけられることになる。この最後の天使については、すでに本サイトの別の記事が触れているのでここでは触れない。

クレーの作品をモティーフに、天使は三度描かれた。ベンヤミンがその絵から読みとろうとしたのは、野村が言うように、「かれの時代にあってのかれの使命であり、生きかただった」(30)。そして、彼が最初の天使を描いてから100年が経った。その僕らの時代は、いまいかなる顔つきをしているだろうか? 僕らもまた、自らの読み解くべき天使――いや、悪魔でも怪獣でもアウトローでも何でもよい、それが批評力を持つのならば――に出会わなければならないのだろう。〈危機〉のなかで、自らのあり方、あるべき姿を想像する能力は、僕らの文化が賭けられた最後の拠点なのだから。

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